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なないろめがね

お別れの日。

9月23日。
世間はシルバーウィーク最終日とうつつを抜かしてる日(スイマセン(笑)
長年の戦友が離隊することになりました。

モンテベロをオープン以来支えてくれた、
僕が絶対の信頼をおくパティシエールです。
彼女との出会いは3年前、うちのバイトの面接に来た時でした。
「大阪で働きたいお菓子屋さんがないので、その間ここでサービスを勉強したい」
そうして一緒に働くことになったのがきっかけでした。
初日の印象は強烈でした。
なんせ緊張し過ぎて、終わって「お疲れさまでした」って言った直後、
マンガのように膝から崩れていきましたから(笑)
「この子、大丈夫かな・・・。身体弱いんかな?」って思いましたが、
初日からガンガン怒った、僕のプレッシャーが要因だったようです(笑)
お別れの日。_c0116714_522315.jpg

そこから、なんだか掴みどころのない、
やる気あるんだかないんだかわかりにくい彼女との付き合いが始まりました。
僕が教えれることはシュクレの範囲しか教えれない環境でしたので、
僕の恩師の店に働きに行かせたり、
なんとかパティシエとしても向上させてやりたいと思ったものです。
その後、もう一度お菓子の世界に戻った彼女と、
また接点を持つチャンスが生まれました。
そう、シュクレの横の物件が空き、そこに葬儀屋さんが入ると言ってきたんです。
まだうちとしては若干タイミングが早く、迷ったんですが、
これからの高齢化社会において、葬儀屋さんの将来性は非常に高いですよね。
入居されたらおそらく出ていきません。そう考えた僕はとりあえず借りることにしました。
もちろん何の案も無かったわけではありません。
良いキュイジニエと良いパティシエが、たまたま身体が空きそうだったんです。
そのパティシエが、この中村と、モンテベロでシェフを任せてる橋本です。

ここで初めて中村をパティシエールとして見ることになるわけですが、
その「ほけ~」っとしたキャラクターをここでも掴みきれず、
最初はかなりキツく当たったと思います。
救いは、彼女の方が僕を理解してくれてたことでした。
もちろん腹も立ったことでしょうが、前にバイトで一緒に働いてたこともあり、
「何か意味があって言ってる」と解釈してくれてたと思います。
初めはお互いの確認作業のためズレも生じてましたが、
僕の「この味覚ゾーンで勝負するんだ」というのを感じとってくれてからは、
ほとんどピンポイントで持ってきてくれました。
物づくりにおいて重要な、味覚の「点」を持っている子でした。
逆にパニくったのは、シェフの橋本のほうでした(笑)
基本、軽いお菓子が好きな橋本はテクニックは優れたものがあるものの、
構成する味覚ゾーン自体が低いところにあったんです。
ゾーンの高い低いっていうのは、いわゆる濃いとか強いというのが「高い」、
淡いとか弱い、薄いっていうのが「低い」ってことなんです。
フランス菓子ってのは、全てがハイトーンであることが絶対条件。
そのトーンを落として、日本人に「甘さ控えめで食べやすい」なんて言われた時点で、
どれだけ手法がフランス菓子だろうが、僕にとってそれは「洋菓子」なんです。
何度も言いますが、異文化ゆえの違和感。それがあっての異文化です。
それを自分たちの味覚を基準にする日本人のほうが間違ってます。
異文化とは、感じ、理解し、想像し、楽しむものです。
それが僕が恩師に叩き込まれた教えです。

オープンを任せて、並んだショーケースのお菓子を見て愕然とし、
ほぼ総入れ替えを指示しました。「こりゃ、ヤバいな・・・」そう思い、
完全に「信頼」を剥奪しました。強烈な危機感を感じました。
シェフも含めて、パティシエも、お客さんも、同時に育てていって、
その結果モンテベロの成長に繋がれば・・・という「3年計画」に、
オープン初日に切り替えました(笑)
やはりシュクレクール同様、一から始めなきゃいけなかったんですね。
甘く見てた僕の責任でした。
それから餌食になったのはシェフの橋本です(笑)
毎日毎日「フランス菓子とはな!」「パティシエって仕事はな!」と怒鳴り散らされ、
上記のゾーンになんとか味覚レベルを保てるよう厳しく接しました。
「お前の成長が店の成長やねんぞ!!」 橋本は聞き飽きてたと思います(笑)
彼には彼の、それなりの自負もあったでしょう。歳も僕と同い年ですし。
でも僕にはそんなこと知ったこっちゃないですからね。
出来るのか出来ないのか、やるのかやらないのか、ただそれだけです。
その結果、どうなったと思います?病みました、完全に(笑)
「もう、何を作ったら岩永さんにオッケーもらえるか、わからなくなった」
後日の橋本談です。そりゃそうでしょ、オッケー出せるものがなかったんですから。
でも、そこで僕も橋本も助けられたのが、中村の存在でした。
橋本は中村に愚痴ったりしてたでしょうし、それが出来なかったら潰れてたと思います。
また中村は橋本に、僕の真意を噛み砕いて説明してくれてたり、
まぁ、見放しかけたこともあったようですが(笑)、
潤滑油のような働きもしてくれてたと思います。
僕にとっても、最初1年間は目も離せなかった橋本のお目付け役として、
また、イメージや味覚だけで実際テクニックや知識の乏しい僕の言葉を、
「じゃあ、それはこうしてみたら・・・」と形にしてってくれたのも彼女でした。
その間、迷いに迷い、ブレにブレてた橋本に対し、
中村のお菓子は芯の通った、全く心配ないお菓子を作り上げてくれたことも、
僕の極度のストレス状態を緩和してくれる要素でした。
僕も橋本も、中村に救われた部分は大きかったんじゃないでしょうか・・・。
お別れの日。_c0116714_532616.jpg

その期間を自分で耐え、学び、吹っ切り、
自分の全てが否定されてるわけじゃないことに気づいた橋本の変化は、
まさに「覚醒」と呼ぶに相応しいほど目覚ましく、
僕は全国指折りのパティシエに・・・・なりつつある・・・くらいにしておきましょう(笑)
今では過程の段階ではほとんど僕はノータッチ。
確認作業くらいですかね、僕の仕事は。
最初からこうなる予定だったんですけどね(笑) 
つくづく商売とは難しいものです。
僕も苦しかったですが、橋本にとっては本当に苦しかった1年だと思います。
今までの経歴で、一番苦しい一年だったと思います。
でも、橋本も中村も、頑張ってくれると信じてました。
テクニックや名声で選んだんではなく、心の土壌の良さで選んだ二人だったからです。
何よりフランスが好きで、誰よりもフランス菓子を愛してます。
それに他にこれと言った取り柄もありません(笑)
そんな二人が僕は大好きなんです。

モンテベロのオープンから一年弱くらいの頃、某雑誌の取材がありました。
まだ認知度も低く、「シュクレクールのパティスリー」という見開き2Pでの紹介でした。
その時、僕と橋本の写真を撮りたいと言われた僕は、すぐに中村を呼びました。
そして「3人で頑張ってきたんです。3人で撮ってもらえないでしょうか?」と頼みました。
バタバタとオープンを迎え、僕にボロカスに怒られながら過ごしてきて、
ようやく「モンテベロのお菓子」というものが見えてきた頃でした。
3人で写真なんて撮ったこともなかったんです。
その写真は、なんだか気恥しくて、でもどこか嬉しくて、想いでに残る写真となりました。
その時、僕はライターさんに言いました。
「僕は別に、この子らと働きたかったわけじゃないんです」
こんな時に何言い出すねん!そう思われたでしょう。
「僕はね、昔からの知り合いだからなんていう甘い人選はしません。
僕が一緒に働きたい相手は、ただ単に僕の要求をクリアできるレベルにいる職人。
それ以下の職人には興味ありません。
だから余計、彼らが今ここにいてくれてることに意味があるんです。
知り合いだからじゃなく、良いパティシエとして選んだ結果、
それが橋本と中村であったなんて・・・、こんなに幸せなことはありませんよ」
そう話しながら、僕は二人の前で泣いてしまいました(笑)
今も書きながら泣いてます(笑)
そんな話、彼らにしたこともなかったですからね。
残念ながらこの会話、雑誌には載ってませんでした(笑)

そんな中村が、フランスに旅立ちます。
「修行」というレベルではないので、
もう一度フランスに色濃く浸かってくるのだと思います。
「30歳」という年齢制限があるワーキングホリデーを使っての渡仏です。
最初から「行っておいで」と言っていましたし、行くべきやと思いますが、
寂しいもんは寂しいんです。
今はまだ実感はありませんが、いなくなったらメチャクチャ寂しいと思います。
一応、期間は1年ですが、
フランスにどれだけの出会いやチャンスが待っているかわかりません。
オープンまでの8年間に7店舗、思うがままに渡り歩いた僕が、
「帰ってこいよ」だなんて、どの面下げて言えましょうか(笑)
そんな野暮なことは言いません。
思い切り、気が済むまで行ってきたらいいんです。
そしていつかまた再会した時に、お互い良い顔をして生きていましょう。
お別れの日。_c0116714_573415.jpg

モンテベロを支えてくれて、
橋本を、僕を支えてくれて、心からありがとう。
2年はあっという間だったけど、いろんなことがあった忘れられない2年やったね。
「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」
・・・・今でも哀しくなる別れ際には口ずさんでしまいます。
怖くなったときに「お化けなんてな~いさ、お化けなんてう~そさ」
そう口ずさんでしますように・・・・え?口ずさまない!?ずさむよ~!ずさむずさむ!

ま、ずさむずさまないは後にして、
前向きな旅立ち、笑って送ってあげなきゃね。
とりあえず、お疲れ様でした。本当に御苦労さまでした。
そして、最後に中村に代わり、この子たちの真摯に作るフランス菓子を、
ここ岸部まで買いに来ていただいてる皆さんに、
心からの感謝と、ありったけの「ありがとう」を、
この場をお借りして伝えさせていただきます。
この子たちのお菓子が間違ってなかったことを教えてくれたのは、
僕ではなく、実際足を運んで下さったお客さん1人1人なのですから・・・・。

最後になりますが、
僕からも、中村に言わせてください。

「一緒に働けて良かった」と思える幸せをありがとう・・・。
by monsieur-enfant | 2009-09-23 05:30 | ケ モンテベロ