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なないろめがね

ひきだし

私ごとでスイマセンが、
ちょっと感傷に浸らせてもらいます・・・・。

先日のミシュランの発表で、
うちのパンを使ってくれてるお店が3店選ばれました。
行くたびに声をかけて下さるお店も何店か選ばれていましたし、
本当に嬉しい一日でしたが、
やはり直接やりとりがあるお店は身内のような感覚です。
そこにパンを出せてることを誇りに思います。
うちも、ある種の「ご褒美」をいただいたような気分でした。

そんな気持ちの時、一通のメールが入りました。
妹からでした。
僕には妹がいまして、
妹は僕のことを「お兄(おにい)」と言いまして・・・。
その妹からのメールの一行に、
「パリに行く前のお兄に『数年したらこんな素晴らしい事があるから頑張れ』って
教えてあげたい気分になりました」とありました。
・・・・そうですね。
まさかこんな日が来るなんて、当時は思いもしませんでした。
星付きのレストランと絡む仕事を岸部でしてる自分を想像してなかったどころか、
自分の店を持てるなんて考えもしない状況での渡仏でしたから・・・。

当時は、ただ必死だったと思います。
フランスに何があるのか・・・、フランスで何を学ぶのか・・・・、
そんなことよりも、誰の助けも無い場所に、
中途半端な自分を払拭したくて飛び込んだというほうが正しいかと思います。
お店も転々として給料も少なく、共働きも出来ない環境で貯金も出来ず、
「独立」なんてものは夢にも描けませんでした。
意気揚揚と未来へ向かっての渡仏では無かったんです。
ただただ中途半端はイヤ・・・、中途半端に生きてきた自分自身が嫌だったんでしょうね。

働いたお店はレストランとの絡みが多いお店でした。
その中にはアラン・デュカス、ギー・サヴォアなどの三ツ星シェフとの絡みもありました。
「キュイジニエ」を意識せずにはいられない環境ではあったんですが、
やはり同時期にフランスにいた元同僚である、
二人のキュイジニエの存在が大きかったんです。
そのうちの一人が今回三ツ星を獲得した「Hajime」の米田シェフでした。
会うことは数回でしたが、漠然とですが常に存在が頭の中にありましたね。
日本に帰って、もし一緒に仕事することになったとき、
話の中で「知らない」じゃ済まされないことが多々あります。
フランス全土の料理の特色や、有名なレストランの名前やシェフの名前、
パリに絞るとそのシェフの料理の特色や修行経路まで、
なるべく会話の中でズレが出ないようにと必死で調べ、食べ、感じる努力をしました。
休みに日帰りで地方に出向いたり、
なけなしの給料はたいて星付きにいったり、
食文化を身体に擦り込むようにビストロをまわったり、
どこのどんなカテゴリーとも仕事が出来るように、
料理も含めて、そこで提供されてるパンも観察しました。
パン屋だからパンだけ作ってりゃ良いわけではなく、
どれだけ理解して作れるのかが大事だと思うんです。
ブーランジュリで販売するパンと、
レストランで出すパンは、似て非なるものなんです。
でも当時から分かって動いていたかというと、そうでもありません。
2人のキュイジニエに「そんなん知らんの!?」と言われるのが嫌だったんです(笑)
「パン屋だから知らなくても仕方がない」では、何か寂しいでしょ?距離を感じます。
なんとか対等に近い立場で仕事がしたかったんですね。寂しがり屋なもんで(笑)
ま、そういう意味ではパティスリーに関しても同じ考えでした。
一番疎いのが、本業のパン屋のことでしょうか(笑)

でも、そんな引き出しも、すぐに開ける機会はありませんでした。
独立に関しての細かい経緯は、以前どっかで書いてますから省くとして、
フランスで勝負しているキュイジニエより一足先に帰国した僕は、
彼らが帰国した際「やっぱり日本やからこうなるんや」と思われるような店は、
絶対に避けたかったんです。そうは思わせたくなかったんです。
フランスで過ごした時間、語った言葉、嘘にはしたくありませんでした。
何年かかるかわかりませんが、
それらを一滴残らず搾り出せる店をしたかったんです。
ただ、現実は甘くありませんでした。
岸部の町に見慣れぬ佇まい、トングとトレイに慣れた方々には対面販売も違和感、
ショーケースの中にはいつものメロンパンやクリームパンは無く、
覗いては帰って行かれる方ばかり。
どうすれば通ってもらえるんだろう・・・、そんなことを考える前に、
どうしたら口に入れてもらえるんだろう・・・、そこから考えなきゃいけませんでした。
当時、妹に手伝ってもらっていたんですが、
全くお客さんが来ず、夏場のアスファルトから立ち昇る陽炎をボーっと眺める横顔を、
今でも忘れることはありません。

こうして当時を思い返してみると、
よく今があるなぁ・・・と思わずにはいられません。
引き出しは、持っているだけでは意味が無いんです。
その引き出しを、開けなければ意味がありません。
僕は、開ける機会すら無かったですから。
もちろん、当時フランスで一緒だったキュイジニエが、
大阪でお店をする確約なんてあるわけもなく、
生活していくために毎日必死にパンを焼いていた僕は、
そんな引き出しの存在すら忘れていってたような気がします。

そんな日々を経て、
何の因果か、フランスで共に過ごしたキュイジニエは大阪で店を始めました。
それも2人とも。そして僕のパンを使ってくれてます。
「フランスの香りがする」と、言いながら・・・・。

生きていくことが必死な今の世の中、
目先のことで精一杯なのが現状です。
ただ、「今」ばかり見ていては行き詰ってしまいます。
「今」だけを見ていては視野も狭くなってしまいます。
「今」を見るのと同時に「いつか」も見なくてはいけません。
「いつか」のために今やっておかなければいけないことも沢山あります。
「今」の為にすることと同時に「いつか」の為にしておかなきゃいけないことも、
忘れてはいけないと思います。
その「いつか」はいつ来るかわかりません。
もしかしたら来ないかもしれません。
引き出しが開かないまま終わってしまうかもしれません。
でもね、多分、引き出しを作ってない人には最初から「いつか」は来ないんですよ。
そして引き出しを持っていない人には、
その鍵を開けてくれる人との出会いもないでしょう。
「あれ?確か、ここに引き出しあったよね?
その引き出しの中、見せてもらいたいんだけど」
今の料理人との仕事の数々は、そう言ってくれてるように思えてならないんです。
フランスで感じた様々な料理、地方の風、カテゴリーの空気感の違い、
そしてパンの果たす役割の違いや存在価値。
シュクレクールを営むこととは違う、もう一つのブーランジェの仕事。
それは相手がいなければ、やりたくても出来なかった仕事。
求めてくれるキュイジニエに感謝、そんなキュイジニエに出逢えたことに感謝・・・。

妹からのメールにあったように、
明日も見えず、ただただ闇雲に走ってた当時の自分に、
今の「いつか」を教えてあげたい気持ちになりました。
当時の僕が走りまわってくれてたおかげで、
僕はシェフたちと同じ温度で、喜びの涙を流すことが出来ましたから・・・・。
そう思わせてくれる言葉をくれた妹に感謝。
おかげでちょっとだけ、自分に「よくやったね」と言ってあげることができました。
心が、一瞬だけ緩む時間を持てました。
ありがとね・・・・。

その妹も、もうすぐ第ニ子の出産を控えています。
お兄も頑張るから、お前も頑張れよな!!
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by monsieur-enfant | 2009-10-16 03:23 | とりとめなく・・