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なないろめがね

私事。

「いつかは・・・」と願い続けてきたことがあります。
ま、そんな大袈裟なことではないんですが、
前に書いた「フランス語を勉強しなおす」とか、
「ちゃんとワインを学びたい」とかもそうなんですが、
「もう一度、野球をしたい」ってのがありまして。

もう10年以上離れてるかなぁ・・・。
もっぱら草野球は活動が日曜が多く、コンスタントに参加してたのは24歳くらいまで。
あ~~「24歳」って響き、フレッシュですね~(笑)
こんな仕事ですから、なかなかそれ以降は参加できなくなってしまいました。
気がつけばもう今年で37。
僕の中のいろいろいろいろの一先ずの区切りが40なんで、
それまでの数年間だけでも、ちゃんと野球したかったんですよね。

ヘタクソ野球部員だった僕ですが、ま、やっぱり好きなんでしょうね。
それと、僕がパン以外で唯一長く続いたものが野球なんです。
人生の中で長く続いたのは二つだけ。
そのうちの一つである野球は単に続けただけでした。
ヘタクソならではの負け犬根性で、自分にも周りにも言い訳ばかり。
成長期での身長や運動能力の増加によって、
急激にスピードが上がった時期はありましたが、
「本気で取り組んだ」という実感は全くありません。
ポジション争いに負けても悔しさすら無かったことについて、
競争心というものが無いのかなぁ・・・とも当時思ってましたが、違いましたね。
答えは単純です。悔しいと感じるほどの練習を自分に課して無かったんです。
簡単に「悔しいです」って口にする人多いですが、
僕は「悔しい」と感じるにも資格が要ると思うんです。
何にもやってないヤツが易々と感じれちゃう感情じゃないと思うんです。
当時の僕は「悔しい」と感じなかったんじゃなくて、感じれなかったんでしょうね。
あの頃は「努力」というものをカッコ悪く思っていたものですが、
やりきらなかったことのほうがその何倍も何倍も何倍もカッコ悪いんです。
目の前で繰り返される現実に、いちいち「やればできた」みたいな余地を残し、
中途半端な後悔を積み重ねて生きるくらいなら、
結果、及ばなくたってボロボロになったって、
本気でやり尽くして、「クッソー!!俺には無理やったーー!!」って叫ぶほうが、
僕は絶対カッコいいと思う。今は心からそう思う。
あの頃の燻ぶってた自分や斜に構えた自分への後悔。
好きなものにさえも向き合えなかった、全力でぶつかれなかった後悔。
「ヘタクソだから」って心の奥底の劣等感が、
「やりたい」って気持ちにブレーキをかける。
ヘタクソだからこそ何倍も何倍もやらなきゃいけなかったのに、
ヘタクソのくせに「周りの目を気にする」という「遠慮」と言う名の逃げ道を覚える。
そんな腐ってた自分への嫌悪感が、僕をフランスへと駆り立てたのは事実。
迷ってた自分の背中を押したのは、誰でもなく、あの頃の自分だった気がします。
「同じ過ちを繰り返すのか?また言い訳をするのか?
好きなものくらい納得いくまでやればいいじゃないか!」
そうですよね。
人間、なんでもかんでも納得いくまでやれるってわけじゃありません。
どんなにストイックな人だって、時間にもお金にも制限があります。
せめて好きなものくらい納得いくまでやれずして、何を納得いくまで突き詰めれますか?

僕は基本、後悔なんて無用なものはしないタチです。
して何とかなるならナンボでもしますが、
しても変わらないことに時間を割くことが馬鹿馬鹿しい。
それならそれを取り返す未来を一秒でも早く歩きはじめるほうが有意義でしょ。
でもね、今でもたまに夢に見るんです。高校時代の夢を。
人生唯一の後悔は、やっぱりやりきらなかった高校野球なんです。
でももし今でも、当時の様な自分で中途半端に生きてたら、
僕の高校時代は本当にくすんだ記憶のままだったでしょう。
今だから言えること、今だから気づけたこと、いっぱいあります。
刻まれた過去という事実は決して変わりませんが、
過去から学べることはたくさんあるわけです。
その中で一番大きな「学んだもの」、
それは、どうしようもない過去でも今に生かすことによって、
変わらない過去の「意義」くらいなら自分自身の手で変えれるということです。
確かに「過去」の積み重ねによって「今」が創り上げられるわけですが、
その「過去」の解釈という選択肢は、
常に「今」の自分自身の手の中にあるわけなんです。

先日、淀屋橋にある聖地「ミズノ本店」に何十年振りかに足を踏み入れました。
あ、今はもうブーランジェじゃなく野球小僧として喋ってますから(笑)
久しぶりの革の匂い。目に飛び込んでくる専門用語の数々。
プロの選手に憧れて、スペシャルオーダーでグラブを作るのに、
モデルは誰に知る、色はどうする、ウェブはどうする、革は何を使う、刺繍は何て書く・・・、
「高校野球」っていう厳しい縛りがあるんですが、
毎日毎日むさぼるように分厚いカタログを読み漁ってたのを思い出します。
他にももちろん何社もメーカーはあるんですが、僕はずっとミズノ派。
当時はダルビッシュとかが使ってるナイキとかは無かったですしね。
僕が作ったのは元近鉄バッファローズの「阿波野モデル」だったなぁ・・・。
桑田さんが好きなんですが、桑田さん、違うとこと契約してたもんで阿波野さんに。
でも阿波野投手、僕が作ったその年から急激に成績下がりましたけど(笑)

なんせ10数年ぶりに野球用具を買いにきたわけです。
当時を懐かしむ部分もあれど、まったく違う部分もあるわけです。
プロ野球のユニフォームの着こなしだって全然変わってるんですから。
なんかね、そんなとこに戸惑ってる自分も愛しいわけですよ(笑)
中学まで軟式だった僕が、高校入学時に初めて硬式のグラブを買いに来た時のような、
そんなドキドキや戸惑いがオーバーラップするわけです!
36歳ですが、気持ちは初々しいわけです!(笑)

最後にグラウンドに立った記憶も定かじゃないほど昔の話。
いつかは・・・とは思ってましたが、やはり身体が動くうちにやりたい。
スタッフも増え、定休日が月火となり、日曜のパンの仕込みがなくなった今、
「チャンス到来(笑)」
ただ、「やりたい」って気持ちだけでスタッフや勿論お客さん、
お世話になるチームのみんなにも迷惑かけてるわけにはいきません。
初日に「アキレス腱断裂」とか「右大腿部肉離れ」とか、
それが有り得ないことではないという哀しい現実も自覚してます(笑)
なによりね、やっぱりユニフォームが似合う身体でグラウンドに戻りたい。
少しずつ身体を動かして、
「同じ」とは言わないまでも何とかイメージに近いボールも投げたい。
現役時代ですら相当失礼なピッチャーでしたけど、
マウンドに、最低限ですが失礼の無いピッチャーとして戻りたい。
そして何より、ただ白球を追いかける時間に身を置きたい。
誰がどこで何をやってる人とか関係なく、
社会的地位や年齢や収入とかも関係なく、
ただただ良い歳したオッチャン同士の真剣勝負の中で、
笑ったり、喜んだり、悔しがったり、励まし合ったり、
そんな、いろんなものを曝け出せる時間が必要なんです。
スポーツから離れて、つくづく「スポーツって良いなぁ・・・」って思うんです。

今、改めて戻るグラウンドで、
今の僕はどういう風に野球と向き合うのだろう。
ただただ楽しみでなりません。
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最大の不安は、夏の陽射しに耐えれるのかということです・・・。
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by monsieur-enfant | 2011-02-11 00:45 | とりとめなく・・