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なないろめがね

お知らせ

えっと、
先に書いた記事に対する温かい声、
たくさんいただきありがとうございます。

ただ、あまりに抽象的に書き過ぎたのか、
実態を把握できないという声もいただきました。
実際、実態を形成する前の段階なので、
公表もなにもできなかったわけですが、
多分、その多くの方は「今」何かを集って、
行動を起こすんだと思われたんだと思います。
もちろんそれは大事なことですが、僕がやろうとしてることは違います。
先の記事に書いたことと別の、大きな想いを踏まえて説明させていただきます。

えっと・・・長くなるのでお時間の無い方は、
暇な時にお読みいただければ幸いです。

先の記事に書いたような試みを形にしようと思ったきっかけは、
実は前々からあったんです。

遡れば長女を授かったとき、
将来、自分にも何か出来ることがあるんじゃないか・・・と思いました。
年齢も立場も変わり、「何か出来ること・・・」ではなく、
「何かやらなくちゃ」との思いは強くなっていました。
常日頃から「思っててやらないのは思ってないのと一緒」
そうスタッフに言ってますが、
やっぱり僕ら(“ら”と括ってしまって良いのやら・・・)
基本的に頭良くない職種ですから、
「これ!」と言った案も浮かばなければ行動する知識もありません。
おまけに「自営業」って、もちろん自分で時間は管理できるわけですが、
みんな日々の仕事に追われる毎日で、
自分の時間なんて持てないのが現実です。

何かしたいけど何もできない

気がつけば店は今年で7年を迎え、僕は37になってしまいます。
22で授かった重度の障害を抱えて生まれてきた長女は今年で中学3年生です。

ま、こういう話が出るたびに言ってますので知ってる方は多いと思いますが、
綺麗事に聞こえると嫌なので言っておきますね。
今は一緒に暮らしていません。
僕は授かった事実だけで、修業時代も開店後も、ただ仕事に明け暮れる毎日。
世間の冷たい視線や、生きていく上での様々な矛盾や葛藤に晒されてきたのは、
もちろん母親の方です。今でも頭が上がりません。
だけど、僕は僕なりに、彼女を授かった意味をずっと探してきました。
授からなかったら抱かなかった想い、その想いをどうにかして形にできないか、
ずっとずっと考えてきました。

そんな中、そんな想いを決定的に輪郭づける風景を、
彼女の小学校の卒業式の日に目の当たりにしました。
重度の障害を抱えた娘の卒業式に、
何人もの先生方が泣いてくださってたんです。
うちの子が「何もできない」とは思いません。
でも、父親として恥ずかしいことなんですが、
こんなに愛してもらえてるとは思いもよらなかったんです。
口々に、「寂しくなるね」「一緒にいれて良かったよ」と、
声をかけて下さってました。
「障害者」と「その子たちを支える人たち」への概念が一変した瞬間でした。

お互い、与えあうことができるんだ。

すなわち言い方を変えれば、
僕ら健常者と呼ばれる、たまたま五体満足に生まれてきただけの人間は、
身体の不自由な方や障害を抱えた方を、
「サポートする」という意識が強かったし、
また現にしていただく側でも「サポートしていただいてる」
とも思ってきました。
長女からはたくさんのことを学びました。
フランスに行く前に丸1年間続いた睡眠時間2時間の毎日も、
「僕は死にそうに苦しい現実を選択できる。選択できるだけ幸せなんだ」と、
目も見えず、言葉も話せず、食事も採れず、立つこともできない、
そんな我が娘を前に弱音は吐けないと頑張れました。
でもそれは、「親子だから」、そう思っていたんです。

親子でもない人たちが、
障がい者を授かったわけでもない方たちが、
本気で本気で親身になって寄り添って、
共に時間を歩んでくれてる現実を卒業式で目の当たりにし、
「いつもサポートしていただいて・・・」
その程度にしか思えなかった自分を恥ずかしく思うと共に、
強烈に心が震えたのを思い出します。
思い返せば「サポートしてあげよう」、
それぐらいの覚悟じゃ出来ない激務でもあるんですよね・・・。
そんなこと分かってたはずなのに・・・。

少々話が逸れましたが、
要は一方通行ではいけないということ。
僕が思ってた「何かしなくちゃ」は、
僕ら側が出来ることを探してました。
正直、最初は「僕らがしなきゃいけない理由ってあるんかな・・・」
と尻込みもしましたが、今は明確に感じます。僕らだから出来ることを。
それは「言葉以外の表現ツール」を持った職業だからです。
そして「喜びや豊かさ」を届けてあげれる職業だからです。
条例や法律などを整えて守ってあげることはできませんが、
笑ってもらったり、楽しんでもらったりすることは出来るんです。
でも、それだけじゃないんです。
僕らが何かをしたり与えたりするだけじゃないんです。
逆に教わることや気づかせてもらうことがたくさんたくさんあるんです。
先にも書いたように、一方通行の活動ではなく、
お互いが有益な時間が共有できると思うんです。
その確信を経て、動いた小さなアクションがあります。
今回、縁あってこういうことをやらせていただく機会を得たことも、
僕が「形」にしようと動いた大きなきっかけの一つになりました。
こういったこともゆくゆくは広くやっていけるような環境を作りたいのですが、
今回の記事が長すぎて告知が埋もれてしまうので、
次回、ちゃんと告知の記事を書かせていただきますね(笑)

飲食業全般、「誰かに向けて」なんて思って営業してません。
「お客さん」という分け隔てない層に向かって、
日々全力でサービスを提供しています。
でも、分け隔てないからと言って、
じゃあ障がい者やそのご家族の方は意識の中に入っての、
「分け隔てない」なんでしょうか?
遡って考えていただいて、何名の障害者の方が来店されてるでしょうか?
もちろん来店できない方々もおられます。
でも反面、来店は可能なのに行けない方々もおられます。
お客さんが来なくなったら対策を考えますよね?
でも障害者の方々が来られてなくても対策は立ててませんよね?

それを責めるつもりはありません。
ある意味仕方のないことやとも感じます。
だって、普通は意識の中にないんですもん。
実際、僕だって子供を授かるまで20数年生きてましたけど、
ほとんどその実情なんて知らなかったですからね。
でもね、どこかに隔離されて生活してるから知らないんじゃないんです。
みんな、すぐ隣で懸命に生き、すぐ隣で懸命に生活してるんです。
悪気があって知らないんじゃないですし、
隠れてるから知られてないんじゃないんです。
僕らと障がい者の間に「きっかけ」と「情報」が無いだけなんです。

なんだか長くなって仰々しくなってしまいましたが、
僕はね、そんな大そうなことしようとしてるわけじゃないんですよ。
僕ら飲食業って、ホント閉鎖された業界の中で働いてるわけで、
先に書いた障害者のことだけに限らず、
僕らが何かできる「きっかけ」と「情報」を共有して、
まずは知ること、気づくことが大切だと思うんです。
単発的な知識ではなく、日常の意識に宿して初めて、
具体的な「貢献」に繋がる手段や活動が生きてくるんです。
そこには障害者に対してのアクションだけじゃなく、
雲仙・普賢岳や鶏インフル問題による生産者の支援や、
もちろん震災など復興のささやかな助けになれるようなことも、
出来ればいいなと思っております。


今回の震災で、店やお客さん、
みんな「何かできないか」という想いがあることを知りました。
僕自身、個人の無力さを痛感しました。
でもそれは震災に限ってのことだけではありません。
日本人の独特の美学に、
こうした援助は黙って静かにやるもんだ的な思考がありますが、
黙ってやっても輪は広がりません。
点を面にまで持っていかなくては風は吹きません。
店や業者さん、メディアの方々、そして一番人数の多い「お客さん」。
飲食業に携わるみんなが参加し運営することによって、
継続的に活動できる形を模索していきます。
ま、僕如きのアイデアですから、皆さん期待しないでくださいね。

ちなみにザックリ5カ月くらいかかりそうです(笑)
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by monsieur-enfant | 2011-03-21 20:51 | とりとめなく・・