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なないろめがね

うぜぇ・・・

こんなにパソコンと対峙してるのは初めて・・・ってくらい、
最近、パソコンと睨めっこしています。
そろそろ鼻血でてきそうなくらいクラクラしてます(笑)

でね、字を死ぬほど見ていると、、
前々から知ってはいたことが活字で見ると気になって来るんですよね・・・。

なんなんすか「障がい者」って。
「子供」が「子ども」でしょ?
大人のお供じゃないから、だって(笑)

どーでもえーわ!!


外人→外国人
子供→子ども
障害→障がい
看護婦→看護士
肌色・・・これダメですか?


結果この変更が何人の障害者の心を癒したんでしょう。
何人の大人が子供に対する見方を変えたんでしょう。
何人の看護婦さんが前より仕事のモチベーションが上がり、
何人の外人さんが住みやすいと感じる日本に変わったんでしょう。
で、次は何の言葉が変えられ、どんな言葉が消されるんでしょう・・・。

「違う」って悪ですか?
「一緒」なら正義なんですか?
こんな挿げ替えを繰り返していたら、
いつしか本質を理解する「心の目や耳」を無くしてしまうと思います。

乙武さんが言ってました。
「友人に愛情たっぷりに「こいつ、かたわなんだぜ!」と言われるよりも、
「そんな障害を抱えられて、さぞ大変だったんでしょうね」と、
優しい言葉を心無く言われることのほうが、よっぽど傷つく」と。

言葉じゃないんですよ。
表面的なものを取り替えてお茶を濁したって何も変わらないんです。
障害者も障がい者も、同じ音でしかないんです。
表記そのものが全てを表すものではないから、
だから正しいことを教え伝える教育や福祉が存在するんでしょ?
表記そのものでは全ては伝わらないから、
だから正しいことを教え伝える努力が生じるんでしょ?
「見解の違い」って、全てが悪だとは思わないし、
絶対的な解決策があるならまだしも、
全て当たり障りのないものにするのも善ではないと思います。
だったらその見解の違いによる摩擦の部分が、
理解してもらえたり、真実を伝えたりするチャンスにもなると思うんですよね。

実際問題、「日本障害者協会」は、
『所属する七十団体に改名の動きはない。
本質的な話ではないし、自治体主導の変な流行という気がします。』
と言っているわけです。

危険を伴う核心には踏み込まず、
空調の効いた快適なガラス越しの遠隔操作の席で、
字を正すか正さないかの議論が繰り広げられたうえで優先されるのは、
いつの時代も当事者の心情ではなく、
結局「何かをやった」という事実と成果を残したい第三者同士の自己保身と自己満足。

変えなきゃいけないのは意識でしょ。
イメージは作られるものではなく作り上げるものです。
視覚的要素はきっかけに過ぎません。
そのきっかけでしかない漢字表記に、
易々とイメージ先行されてしまってることのほうが問題なんじゃないでしょうか。
言語偏重主義的な錯覚により、
これから幾つの漢字や言葉が消えていくのでしょうか。

そもそも日本における偏見や差別というのは、
「違い」を嫌い認めず拒む、昔からの風潮も一因だと思うんですよね。
障害者やその介護者に向けてもそうですが、
「出る杭」に対して向けられる眼差しも相当酷いですからね(笑)



表面的で短絡的な変化で「一件落着」気取ってないで、
本質を理解する「心の目や耳」を育てる教育に時間を充ててくださる日がくるのを、
親の端くれとして、心から願っております・・・。
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by monsieur-enfant | 2011-04-26 02:19 | とりとめなく・・