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なないろめがね

久々の「若者向け」の記事。

うちの子たちに限ったことじゃないんやろけどね、
何かにつけて「自信がない」とか出来ないことに理由を付けたがります。
じゃあ自信さえあればできたのかと言うと絶対そうではないわけで。
出来なかった原因は自信がないからではなく、
そもそも自信がない自分には気づいてたくせに直視せず、
自信がない自分を前提にした最良の準備を怠ったから以外ないわけで。
じゃあ聞きますけど、自信がなきゃできない程度の子が、
一体いつまで待ったら「自信」なるものを手に入れれるのか教えて欲しいもんです。
そもそも自信なんてものは、単純に成功からばかり得れるものではなく、
重ねて重ねた失敗の向こう側にある成功によって掴む感情なんです。
つまりね、自信が欲しいなら、まず結果にビビらないでアクションを起こすこと。
結局、棚からぼた餅的な成功なんて、
喜びは得れたとしても自信になんてならないんだから。
失敗を重ねる勇気、それが必要なんじゃないですか?
誰だって失敗は怖いもん。
でもね、
失敗を繰り返して、修正点を見つけ、20点を30点、30点を40点にしていくしか、
僕らのような凡人が100点に近づく術は無いんです。
たかが数回の失敗くらいで「俺はダメだ・・・」なんて弱音吐くのは、
10年に1人の逸材に任せておけばいいんですよ。
ま、願わくば本当に失敗まで辿り着く前に「やべぇな」と気づけるとベストですけどね。
いくらポジティブとはいえガンガン失敗されてたんじゃ、こっちもたまりませんから(笑)

そもそも、自信があるからやる、無いからやらないなら、
そんなもの最初からやらなきゃいいんです。
僕は「成果」は欲しいですが「自信」なんていりません。
基本、ネガティブが心に巣食ってる人間だからかもしれませんが、
覚悟とか執念とか、おどろおどろしい感情のほうが好きですしね(笑)
自信がないから頑張れますし、不安だらけだから挑めます。
思うのは、「自信」と「慢心」は紙一重。
自信なんて持たずとも、積み重ねてきた時間は決して嘘をつきません。
やりながら生まれたり、やりながら消えたり、
そんな不安定な感情に振りまわされてたら何も実行できないですよ。
やるのかやらないのか、ただそれだけ。
やりきるのかやりきらないのか、ただそれだけ。
やる前から出来なかった言い訳や、
選択肢に「辞める」という道を用意してる人間に、
成功なんて報酬が用意されてると思うこと自体虫が良すぎますよ。
成功なんて所詮形の無い朧気なもの。
そんなもの最初から求めてる人間が掴める成功なんて、
それこそ一瞬の幻想みたいなもの。
その朧気な幻想の先に見える本質を見失わないよう目を凝らし、
目を凝らし、目を凝らし、追い求めた結果手の中にあるもの、
それが自分の納得するものであったなら、一先ずそれで良いんじゃないですか?
他人の評価を気にしてキョロキョロしてる自分の心の中、覗いてみてください。
笑っちゃうくらい空っぽですよ。
まずはそこを満たさなくちゃ始まらないんじゃないですか?
僕は「他人の評価なんて興味ない」と言いますが、
ま、実際の所、正直他人の評価を気にするとこまで行ってないんでしょうね。
まだまだ自分自身を満たすことで必死です。
スタッフを満たしてあげることで精一杯です。
いつの日か、自分をある程度満たすことが出来たなら、
その時は周りの評価とやらでも気にしてみてもいいんじゃないですか?
「周りの評価」というものが、気にするに値するものなのかどうかはさておき、ね。

さ、結構書いてきましたね・・・。
もうちょっとお付き合いいただきましょうか。

こんな話をすると決まって挙がるのが、
「言ってることはわかりますが、自分なんて・・・」ってな下衆な発想。
ま、多くの「自分なんて…」って言葉は、
「謙虚」なんて言葉を都合よく当てはめて自分を慰めてるんでしょうけど、
周りの目より先に自分自身で自分を卑下することによって、
成果をあげれなかった時の言い訳の準備を予め作ってるに過ぎないわけです。
まったく・・・、そんなシケた思考の向こうに、
何かしらの成長があるとでも思ってるんでしょうか。
世の中、「あれがあれば」「これがあれば」なんて言い始めればキリがなくて、
ほとんどの日常があれもこれも足りない状況で立ち向かわなきゃいけないわけです。
状況は刻々と変わり、以前手に入れた自信なんてものは適応しないことがほとんど。
そうなると必要になって来るのは、
状況に合わせて今の自分に何が足りてて何が足りてないのかを把握する客観性。
悲観するためじゃなく前に進むために行う、
残念ながらあれもこれも持ち合わせない弱く頼りない自分の能力分析。
「そんな自分」が挑むために何が必要なのか。
「そんな自分」が応えるために何が必要なのか。
それを知り具体的に準備するためには、
「そんな自分」を正しく把握することが大事。
「失敗したらどうしよう」なんてウジウジ考えてる間に時間は過ぎてしまいます。
そもそも失敗したらどうするか考えながら中途半端に挑む向こう側に、
成果なんて用意されてるわけないでしょ?
「自己保身」ではなく「自己責任」として、
本気で「失敗したらどうしよう」と考えるのなら、考えてくれるのなら、
ただ直向きに全力で挑むこと以外ないわけです。
目の前の仕事に本気でベストを尽くす以外ないわけです。
決めるのは「やる」か「やらない」かだけ。
「やる」と決めたなら一心不乱にやったらいいし、
「やらない」と決めたなら、きっぱり止めたらいいわけです。
なのに「やる」と決めたことすら中途半端。
「決める」ってね、簡単に揺らぐ決意を「決める」とは言わないんですよ。
自分が決めた道すらビビって足が竦むくらいなら、
イチビッてカッコつけた安い想いを安易に語って来んじゃねぇよ、
・・・って、思っちゃったりしちゃいますよね?
うんうん、しちゃうしちゃう(笑)

モンテベロのスタッフが、休みの間に石丸館に行ったそうです。
そこで「この人、何歳だと思う?」って、どっかのシェフの写真を見せられたそう。
ま、日本人より彫りも深いので老けて見えるのは見えるんですが、
40歳くらいと思ったシェフが、実は28歳だったそう。
でもね、フランスではこれくらいの歳でどこぞやのシェフなんて珍しくないんです。
何故かというと、僕が思うに「自己」が芽生えるのが早いんですよね。
ペーペーの若僧からガンガン物言って来るし、
それぞれがそれぞれの哲学を持って生きてる。
早くから「個」として存在し「我」を持って周りと対峙しています。
日本はね、それが遅い気がするんです。
学生時代と変わらず、組織に守られてる感が抜けないからか、
組織を利用して自分を磨くんだという気概というか野心が無いですよね。
「言われたからやる」、「言われてないからやらない」
じゃなくてさ、自分がどう思ったかが問題でしょ?
結局、誰かのせいにしたいだけ。
言い換えれば自分に責任が回るのが怖いだけ。
それじゃ、ダメですよ。
責任を背負えない人間に「個」なんて認識できるわけないですもん。
日本特有の「協調性」っていう良い部分を隠れ蓑にした甘さとひ弱さと無責任さ、
ここを克服せずして本当の意味での「自我の芽生え」なんて望めないと思いますよ。

さぁさぁさぁ、長々と書き綴りましたが皆さんはどうお感じになったんでしょうか。
僕らはただちょっと先に生きてるだけで偉くも何ともないわけですが、
ちょっと先に生きてるからこそ、ちょっと先に知ることや感じることがあるわけです。
でも、それを伝えることは出来ますが、
「導く」などと大それたことが出来る力はありません。
歩き出す尊い力は本人たちが持ってるんです。
僕らが出来るのは、その「きっかけ」を作ってあげることくらい。
後はその小さなきっかけに指を引っ掛け、重い身体を引き上げ、
また次の小さなきっかけに指を引っ掛け、また重い身体を引き上げ、
そうやって自分自身の力で、
ちょっとずつちょっとずつ目の前の壁を越えていくしかないんです。

いつも言いますが、共感して欲しいなんてこれっぽっちも思いません。
ただ、若者に限らず、何か考えるきっかけにでもなれば幸いです。
だって、どれだけ促されたって、自分自身の心が何かに気づかなければ、
内から生まれたキラキラした尊い一歩は踏み出せないのですから。
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by monsieur-enfant | 2011-06-24 03:08 | とりとめなく・・