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なないろめがね

魂に触れに。

なんか、最近アクセス数が何故か多くてですね、
前は土日は急激に落ち込んでいたんですが、
それなりに覗きに来てもらってるようでして、
そうなると何か書かなきゃと思わせてもらってるのは幸せなわけでして、
書ける時は小ネタでもお楽しみいただければと思う所在であります。

さ、ちょっと市内に打ち合わせに出かけた時のこと、
駅の構内などのポスターで気になってたとこに足を伸ばしました。
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もう皆さんおわかりですよね。
僕は最初にポスター見た時、樹木 希林さんが赤いヅラ被って、
「あぁ、なんか舞台でもやりはるんかなぁ・・・」って眺めてました(笑)
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そうです、草間 彌生さんの「永遠の永遠の永遠」が、
3ヶ月ものロングランで国立国際美術館にて開催されてるんです。

館内は何カ所か撮影可能ポイントがあります。
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「連鎖」「増幅」を繰り返す、内面からほとばしる圧巻の作品群。
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一応、作品説明などもあるのですが、
照らしあわせたところで僕如きにはサッパリわかりません。
ただ、僕は「芸術」って、理解するものではなく感じるものやと思うんです。
知識が無い言い訳のようですが、料理やお菓子も一緒。ワインもそうかな。
発信する側に身を委ねたいんですよね、触れてる間は。
そんな時に受信する側としての自分も確認しておかないと、
気付かないうちに、発信する側だけの主観に偏ってしまいかねませんからね。
良い発信者、良い提供者であろうと願うなら、
やはり良い受信者、良い客でもあることも同じくらい大事なんじゃないかと。
食事に行くとたまに居るクソ偉そうな勘違いシェフたちを見るたびに、
「くわばらくわばら」と自分への戒めとさせていただいてるわけなんです。
そういう意味では、役に立ってるわけですけどね(笑)

さて、後半には草間さんの短いドキュメントが映されてるフロアがありまして、
その短い尺の中に収まりきらない情熱というか情念というか執念というか、
80歳を越えてる今もなお「ピカソを超えたい」「死ぬまで描き続けたい」、
そう公言し描き続ける様が鋭利な刃物のように突き刺さり、溢れだします。
事実、「芸術に出会わなければ自殺していた」と言ってるように、
「芸術」というものに魅せられ、そしてある意味、憑かれているんでしょうね。
上手く言えませんが、僕には溢れ出た「魂」が塗料になってるようにすら思えました。
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ドキュメントの中に映し出されてた、あれは廃校の体育館かな?
その中に羅列された「愛はとこしえ」から「わが永遠の魂」までの連作群、
その圧倒的な映像を観るだけでも溜息もの。
世の中、便利になってきて、
考えずとも、悩まずとも、何かに辿りつけたり、誰かがサポートしてくれたり、
その「便利」が「親切」と履き違われ、
不便なものや分かりにくいものは挙って「不親切」と叩かれる始末。
結果、「便利」の代償として、
どんどん人間の「思考」や「思想」が失われてる危惧は、
前々からちょくちょくここでも書かせていただいてるわけです。
分かりやすいものが「善」で、
分かりにくいものが「悪」かというと、必ずしもそうではないはず。
思考が鈍り、思想が消えゆく今だからこそ、
人は安易な情報に踊らされ、「判断」という自己責任すら他人に擦りつける。
知識で固められた感情を伴わないコレクションは所詮「情報」の枠を超えず、
新しい情報にアップデートされていくたびに自分自身が自分自身で無くなっていく、
つまり擦り込まれた膨大な情報に既に感情が屈してることに気がつかない「現代」。
頭と頭の摩擦に慣れてしまった頭はどんどん固くなる一方で、
摩擦に不慣れな心はいつまで経っても柔肌のまま。
ちょっと突くとすぐに破れるくせに不感症というタチの悪さ。
たまには頭ではなく心を晒して、
そこがヒリヒリしたりチクチクしたりする感覚を、
味わいに行くのも良いのではないでしょうか。

「知識」や「情報」など、一切役に立たない「感覚の坩堝」。
そこに居たのは「人間 草間 彌生」そのものでした。
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by monsieur-enfant | 2012-02-19 22:11 | とりとめなく・・