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なないろめがね

カテゴリ:サ マーシュ( 1 )

なかなか進まない東京編に時間を割かれてる間に、
どんどんタイムリーな話題が過去になっていってしまう・・・。

とりあえずちょっと中断して、今書いとかなきゃいけないことを優先しますね。


この日、向かったのは神戸。
一度も一緒に働いたことはないが、
何度か僕のブログにも登場してる人物に会いに車を飛ばす。

出会ったのは、もう15年くらい前かなぁ・・・。
面識を持ったのは、僕が24歳の頃。
「働きたい」と、お願いしに行ったのが始まりでした。
最初は「空きが無い」との話でしたが、
懲りずに何度も足を運んでるうちに「配送からなら」と枠を空けてくださったんです。
初めて店に伺ったときから僕の気持ちは奪われたままでしたので、
「いつかここで働きたい」、その一心でしかなかったのを思い出します。
ちなみに22くらいで初めて本店に伺った時の第一印象は、
「僕がやりたいことを既にやってる人がいる!!」でした。
ホントに何様やねんって話でしょ(笑)

ただ、配送からですと、出勤は夜中の2時。
そこからお昼過ぎくらいまでの仕事だったような。
もちろん、そのぶんしかお給料も出ず、
電車の無い時間からの出勤ですから近郊に住まないといけません。
僕、すでに妻子いましたんで、
二重生活しても養っていけるだけの給料ではないですし、
もちろんそれに耐えうる貯蓄だって出来てません。
そんな葛藤を引きずりながらも足を運び続ける僕に、
シェフは行くたびに忙しい手を止め、毎回2時間くらい話をしてくれました。
お土産にもらったパンを、妻やご両親に見せながら、
「行かせてください!!ここで働きたいんです!!」と懇願したのを覚えています。
あぁ・・・、若かったなぁ、あの頃は(笑)

もちろん、そんなことは出来るわけありません。
2重生活で、アルバイト程度の給料しかもらえず、
2か所の家賃や生活費を工面しながら、
障害児を抱えた不安な生活を今までより更に不安にさせるなんて、
さすがに身勝手な僕にも出来ませんでした。

その日も、「ここでは働けない・・・」って気持ちを抱えながら、
でもどうしても諦めきれず、また足を運んでいました。
いつものようにシェフは手を止め、いろんな話を聞かせてくださり、
やっぱりここで働きたい・・・なんとかシェフの役に立ちたい・・・、
そう後ろ髪引かれながら、「また来ます・・・」と、いつものように店を後にしました。
扉を出てすぐの階段を途中まで上った時、
「ハッ!」と、あることに気づき、僕は店内に駆け戻りました。

「どうしたの?」と、まだ厨房に戻る間もなく店内におられたシェフに、こう告げました。
「僕、やっぱり無理です。ここでは働けません」
多分、それだけ言うのが精一杯だったと思います。

自分のことばっかり考えてました。
「働きたい。でも、どう考えても難しいことはわかってる。でも・・・・」って。
その日もそうでした。また時間を割かせ、また結論もだせず、「また来ます」って。
そんな帰りに、急にカミナリに打たれたように目が覚めました。
「これ以上、シェフの貴重な時間を僕なんかに割かしたらあかん!!」
それで店内に戻ったんです。
出てすぐに帰ってきた僕の突然の言葉にも、シェフは多くは言わず、
「そうか・・・。でも、一緒に働けなくても 同じ方向を向いて仕事することは出来るやろ。
頑張れ。2、3年後にはきっと面白い存在になるよ」、
そう言って、右手を差し出してくれました。
その手を握り返した瞬間、言葉にならない感情が一気に込み上げて来て、
その感情は心を突き破り、涙と嗚咽となって溢れ出てしまいました。
手を握ったまんま、営業中のレジの前で、声を上げてしばらく泣いていました。

働きたかった。
学びたいなんて気持ちはなく、なんでもいいから役に立ちたかった。
でも、この日から一度もそれを思った事はありません。
僕はちゃんといただきものをしました。宿題をもらいました。
離れてても同じ方向を見て頑張らなきゃいけません。
いつかシェフが言われた「面白い存在」だと思ってもらわなきゃいけません。
その為に、前に前に進む日々がそこから始まりました。

ま、今となっては一緒に働けなかったことも、
ボロが出なくて良かったなぁと前向きに考えれるんですが、
今のスタイルを見つけるまでは、悩んで悩んで燻ぶった毎日を送ってたんです。
僕にはもう一店、京都に大好きなお店、大好きなシェフがいて、
その店と、今書いてる神戸の店に、
いつしか拭い去れないコンプレックスが生まれてしまってたんです。
それはもう一種の軽い諦めのようなものでした。
「もし自分が店をやっても、どこかで店を任されても、
どうせプチメックとコムシノワに憧れたまんま、
あの2店は特別だから・・・と言いわけをしながら生きていくんやろうなぁ・・・」って。
だってね、どうしようもなかったんですもん。
超えるものに出会えなかったし、もともと自分で生み出すような才能などありませんから。
「面白い存在になるよ」、そう西川シェフに言っていただいてから、
いつしかそれは自分の十字架みたいになっていました。
「今の自分は面白いか?面白いと思ってもらえるか?同じ方向を向けてるか?」
予想された「2、3年」なんて、僕は燻ぶりに燻ぶって発酵しかかってた頃ですよ(笑)

でもね、出来ないなりに懸命に模索してました。
もがいてもがいてもがき尽くしました。
言ってもらった言葉に何とか応えたかったんでしょう、いつかは報いたかったんでしょう、
出来ないからと言って、先が見えないからと言って、
貼りつけた心の中の掲示板から剥がすことはありませんでした。
そんなどうしようもなかった時、カイザーに出会ったんです。
今まで出会ったことのない衝撃を受けました。
「やっと見つけた・・・」って気持ちで打ち震えました。
だって、闘える術を見つけたんですもん。
日本でもまだあまり知られてないものに、たまたま出会えたんですもん。
「これはラッキーなことだ」と認識しました。自覚しました。
逆に、これをものに出来なければ僕はもう終わりだとも思いました。
必死でしたね。今までやってきたことなんてどうでもよかった。
所詮、抜きんでれなかった過去の経験なんて、しがみつくのもナンセンス。
全てを捨ててでも掴みとらなければ、僕にはもう策がありませんでしたから。

僕が独立する時もね、やっぱり強烈に意識しましたよ。
それは勿論、同じマーケットに参入するってことでの意識もありましたが、
「僕が何をしなければいけないのか」という意味での意識が大きかったです。
僕はコムシノワに出会い、西川シェフに出会い、
なんとか追いつき追い越したい、面白い存在だと思ってもらいたい、
そう思って苦しんできたし成長もしてこれたと思います。
じゃあ、そんな僕が店を開くときに何をしなきゃいけないのか。
それは、ちゃんとバトンを引き継がなきゃいけないと思ったんです。
西川シェフは、客観的に見ても、
「西川前・西川後」と分けても良いくらい、パン業界に影響を与えてきました。
コムシノワが生まれる前と生まれた後、大きく関西のパンは変わったと思います。
その後、化け物のような売り上げを叩き出す(笑)大阪のタケウチさんと共に、
「ブーランジュリ」って言葉を広く一般に知らしめた功績は半端ないと感じます。
じゃあ、それらを見て育ってきた僕は何をしなきゃいけないのか、そう考えたんです。
憧れた人は多いと思います。
影響を受けた人は多いと思います。
だけど、まだ実在してる店の真似をして何になるんですか?
同じような店を作って、西川シェフが喜ぶと思いますか?
気がつけば、
表面的なスタイルやアイデアだけを真似する店が後を絶たなくなってました。

それは違うと思うんですよね。
それで僕は僕なりに考えたわけです。
ブーランジュリという言葉を耳にするようになってから数年、
巷に溢れた「似非ブーランジュリ」によって、
若い職人たちがわからなくなってる気がしたんです。
「結局、ブーランジュリって何?どこを見て歩けば良いの?」
パン屋は未だに東京も大阪も中心部に集まり、
もうその数も飽和状態のように感じました。
「僕がしなきゃいけないのは、なんやろ。もらったバトンをどう繋いだらいいんやろ・・・」

だからむしろ迷いなく出来ました。
僕が次にしなきゃいけなかったのは「ブーランジュリの本質」です。
そこに含まれてるのは勿論商品構成だけではありません。
異文化を背負う意味や覚悟、生活圏で生活に寄り添うことで生まれる本当の価値、
ブーランジュリという言葉の真意、フランスの現在、そして空気。
なにより「ブーランジェ」という職人としての責任や誇りや覚悟や意地や・・・・etc(笑)
ま、そんなことですわ。
それがね、絶対に正しい一本の道じゃなくていいんです。
バトンを引き継いだのは僕だけではないわけですから。
実際、共に働き、傍で感じた職人が、おそらく一番確かなバトンを引き継いでるはずです。
僕がしなきゃいけなかったのは、新しい選択肢を作ること。
細くても小さくてもいいから、違う道を作ること。
次の世代に対して小さな道標と、今度は自分がなっていくこと。
それがね、時代を作った人を見て育ってきた人間が、
次にしなきゃいけないことだと思うし、それが恩返しだとも思うんです。
だってね、コムシノワがあって、次の世代が同じことして、
その次の世代が革新を起こせば、真ん中の世代は歴史上いらなくなっちゃいますからね。
それじゃあ、存在意義なんてありませんよ。
他の誰かでも出来ることやってても、僕じゃなきゃいけない意味は見出せませんよね。
それはね、やっぱり西川シェフに言っていただいた、
「面白い存在」って言葉が心にずっと引っかかってたからそう思えたんだと思います。
良い店を作ることが面白い存在ではないんです。
だって西川シェフは既に良いお店を作ってましたから。
じゃあ、シェフに「面白い」と言わせるにはどうしたら良いか・・・。
違うことするしかないですよね。今思えば、かなりハードル高い無茶振りですよね(笑)


たいして目標もなかったんですよ、僕。
野球しかしてこなかったし、好きな人がパンを好きだったから始めたこの仕事。
最初の店探しはカレーパンとアンパンばかりを比較しまくって決めましたし、
フランスとパンなんて結びつきもしませんでした。
専門学校にも行ってなかったんで、知識も皆無。なんなら興味も無かったくらい(笑)
そんな僕に、初めて目標をくれた人。
その恩師が、この秋、遂に独立することになりました。
・・・って、長っ!!冒頭からここに至るまでの説明、長っ!!(笑)

もう忘れてるかも知れませんので繰り返しますが、
この日、神戸に向かったのは、西川シェフの開店のお祝いに顔を出しにいったんです。

場所は三宮からかなり上った坂の上の上。
どうせオープンの日はお祝いのお花だらけになるだろうと思い、
シャンパンのマグナムをぶら下げての訪問。

通りに店舗は面しておらず、こんなアーケードを潜ってアプローチを歩きます。
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手前の「N」は、西川シェフの「N」だそうなので、皆さん踏まないように(笑)

伺ったのはオープン日の前日・・・のはずだったんですが、
思うように進んでないようで、翌日はレセプションに変更したみたい。
山本通 「サ・マーシュ」
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久しぶりにお会いしました。
と言っても、コムシノワを辞められる前に一度ご挨拶に行ったので、そうでもないか。
相も変わらずエネルギッシュな方で、
相も変わらず「おー!岩永君!」と、迎えてくれる。
ずっと変わらない西川シェフは、僕が「あの頃」に戻れるスイッチのようです。
え~~っと・・・・、前に書き過ぎたので、もう書くことあまり無いや(笑)

25日の土曜から、本格的にオープンされてるようですので、
また落ち着いた頃に遊びに行きたいと思います。
そこでもう一度、いつしかスタッフがこなせる「コムシノワのパン」として輝きを失ってた
生き生きとした「西川シェフのパン」に出会えたら嬉しいですね。
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by monsieur-enfant | 2010-09-26 14:09 | サ マーシュ