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なないろめがね

富津市観光案内

朝起きると、もう朝食の準備が出来てました。
お味噌汁をいただくのも、大勢で食卓を囲むのも、こんなに朝から食べるのも、
「前回お邪魔して以来」と、ここでしか体験できないことになってきました。

親戚がお昼に集まるというので、それまで母親と散歩に。
手持ち無沙汰の僕が居づらいと思って声をかけてくれました。
テクテク歩いて行く予定だったんですが、
「仕事に行ってくる」と言って出てきたため早めに着いた母の妹と合流(笑)
親戚の中でも母の妹二人には、特に子供の頃から遊んでもらってたので気が楽です。
上の妹が「えみちゃん」、下の妹が「みっちゃん」で、
この日はえみちゃんです・・・・って、どっちでもいい話ですよね(笑)

車なので、子供の頃からずっと遠くから見上げてた観音様の所へ連れてってもらうことに。
しばらく走るとすぐ標識が。
「え?・・・・こんなに近いの?」
山道に入り、上へ上へと走ります。
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見えてきました、「東京湾観音」
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いつも遠くから見上げてた観音様。
一度も連れてってもらったことがなかったので、もっと遠くにあると思ってたら、
車で10分くらい。親への不信感が募ります(笑)
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かなりの大きさです。迫力ありますね。
こういうの近くにあったら普通子供に見せたいと思いません?
僕、この歳にして初めて見ましたもん。多分妹は見てないんじゃないかな・・・。
しかも、展望台からはこの景色。
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こういうの近くにあったら普通子供に見せたいと思いません?(笑)
晴れ渡ると、正面に富士山が見えるみたいです。
「だったら余計・・・」と母親に言うと、
「昔のおばあちゃんの家の2階の窓からも見えてたじゃん」
・・・・見えてたけど。

そうなると観音様の上に登ってみたくなりますよね。
「・・・・・」
誰も一円もお金持ってませんでした(笑)
なんなんや、この三人。
さ、それでは移動しましょうか。次はさっきの景色の右側を見てください。
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水平線に沿って右に目線をずらすと、陸のラインがうっすら見えますでしょ?
そこの先端へ今度は向かいます。・・・地元ネタ過ぎてスイマセン(笑)

途中、駅に寄ってもらうことに。
「大貫駅」
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千葉からは結構来てくださってるんですが、
さすがにここからシュクレまで来てくれた人はいないでしょうね。
子供の頃、母親に手を引かれて来た大貫駅。
東京からは反対車線なので、歩道橋を渡って出てきたのを覚えています。
今は無人駅。でも、すごく思い入れがある大好きな駅なんです。

さ、もう少し車を走らせますと、着きました「富津岬」
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「地味・・・」とか言ってる人は誰ですか?
実はここ、浜崎あゆみのPVの撮影で使われたんですよ。
こちらです。
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富津岬で、このハイテンション(笑) さすがプロですね。
ちなみに僕の子供の頃からのあだ名も「あゆ」なんです。
恥ずかしいから呼ばないでくださいね(笑)
上ってみると、天気は残念ですが良い眺めです。
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ぐる~っと続く海岸線。
画像の真ん中らへんの陸地が東京湾観音のあったとこ。
晴れてたらシルエットは見えるんじゃないかな?
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さ、地元に帰って砂浜を歩きます。
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静かな砂浜です。
キレイな海ではないですが、ここの海が僕には一番落ち着く海です。
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あの岩場の向こう側は、結構良い別荘地になってて、
布袋さんと今井美樹ご夫妻の別荘もあるとか。
あ、富津岬に行く途中には元若乃花の花田兄ちゃんも別荘持ってるとか。

帰る前にもう一度お墓参りをして家に戻ると、もうみんな集まってました。
でも、こういうとこでも人見知りするんですよね・・・。
一番上なんで、下の子らと遊ばなあかんのですが、
子供、得意なほうじゃないもので・・・。
2人いるのに問題発言ですね(笑)
えみちゃん自慢の鰻飯をみんなで食べて、しばらくのんびり過ごしました。

今度いつ来れるかわかりませんが、僕には「帰れる場所」の一つです。
ここの空気、ここの景色、ここの言葉、迎えてくれる顔、
いつまでも僕の大事な「田舎」です。
大阪に帰ろうと思ってましたが、リフレッシュも出来たので東京に戻ります。
行けなかった「宿題」もありますから。
「アユム、行きま~す!」
わかっちゃいました?(笑)
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by monsieur-enfant | 2009-09-10 10:21 | 千葉県富津市

時の移ろい

品川に到着。
ここからバスで木更津に行くのは、叔父が体調崩してからでした。
それから何度目になるのかなぁ。
お盆には帰れなかったので、叔父と祖母の百か日法要の前に帰省することに。
今では僕も迷わずバスに乗り込めるようになってしまいました。
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良いお天気のアクアライン。
祖母を想い出させる海が、キラキラ光ってお出迎え。

木更津にはバスで来るものの、電車は数回しか使ってなかったような。
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なんだか岸辺を思い出します(笑)

母の妹が迎えに来てくれて、数分遅れで母親も到着。
富津まで車で移動します。
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あの頃、もっと青々としていた瞳に映る景色。
新緑の命萌ゆる中、車一台分の田んぼのあぜ道を、
連なって火葬場へ向かった、あの季節。
今では田んぼの稲も色づき、時間の流れを静かに教えてくれます。
夏が過ぎ、秋になり、事実は確かに過去になっていきますが、
心に刻まれた思い出は、今も昔も変わりません。
今を生きてる僕がちゃんと抱えてさえいれば、今すぐにでも逢えるのですから・・・・。

夕飯の買い物を済まし、お墓参りへ。
いつものように、空には鳶が弧を描いています。
「歩が来たよ~。大阪から歩が来てくれたよ~。」
そうお墓のおじいちゃんに毎回語りかけてくれてた祖母を思い出します。
「抱いたって帰って来ねぇっぺや・・・。」
祖母のお骨を最後に抱かせて欲しいと言った母の妹にかけた、
叔父の悲しそうな一言を思い出します。
その二人も今はこのお墓の中・・・。
ゆっくり休んでくれてることと思います。

なぜかバラバラになってた一連の経緯を
「千葉県富津市」のカテゴリーにまとめ直しました。
明るい話ではありませんが、何か想ってくだされば幸いです。

晩御飯までの間、東京での疲れもあり、
何も考えず眠らせてもらうことにしました。
山間の緑の風に撫でられながら、すぐに眠りについてしまいました・・・。
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by monsieur-enfant | 2009-09-10 08:49 | 千葉県富津市

度々、私事でご心配おかけしまして申し訳ありません。
その都度、温かいお言葉をいただき感謝しております。
それと同時に、あまりにも沢山の事を抱えて生きてはるお客様の多いことを知り、
励まされる・・・と言うより、「もっとしっかりしなあかん!!」と自分を叱咤してる次第です。

叔父にも強行ながら、会いにいくことができました。
土日のスケジュールに加え、別注もあったので徹夜仕事の日曜日の晩、
仕事を終えるとすぐに、乗り場も確認せず飛び出した夜行バス。
また根拠のない「てっきり・・・」がハズレ、夜の街を徘徊することに・・・。
若干諦めかけたころに見つけたバス乗り場で聞かれた、
「何時発ですか?」の問いにすら、
「・・・知りません」状態(笑)
田舎に連絡して「何時に出るの?」・・・いや、それくらいバタバタして家を出たんです。
以前利用して「二度と乗るまい」と誓った夜行バスですが、
思ったよりゆったり座れ、助かりました。
それでも着くころには節々が悲鳴を上げてましたが・・・。
いつものコース「品川ー木更津」のアクアラインバスに乗り換え、
なんとか告別式に間に合い、精一杯のお別れをしてきたつもりです。
夕方にはトンボ返り。夜9時過ぎにはシュクレに戻り、仕込みの一部に取り掛かりました。
みなさんには当たり前のことかも知れませんが、こんな大切な時でさえ、
人一人満足に休めないのが個人店の現状なんですよ・・・恥ずかしながら。
そういえば、仲間内で一番最初に結婚し、式を挙げ、みんなに来てもらったにも関わらず、
僕は誰の式にも参列して祝うことすら出来てないんです。
まだ満足なことはしてあげれてないうちのスタッフですが、
自分が出来なかったこと、一つ一つ、してあげれるような店にしていきたいものです。
今回はスタッフに甘えて千葉に行かせてもらったわけですからね。

ま、最後になりますが、「さ、喪服に着替えなきゃ」ってスーツカバーを外したとき、
ズボンが懸かっていなかったときは血の気引きました(笑)

さ、気持ちを切り替えて、GWの代休「東京編」そして「横浜編」と、
テンション上げて書いていきますね。

P.S 皆さんのお力添えで、またこうして頑張ろうと思うことができます。
待っててくださるお客さんがいて下さること、これほど大きな力になるものはありません。
一日一日、またささやかですが、感謝の意をパンに込め、届けれたらと思います。
重ね重ね、ありがとうございました。
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by monsieur-enfant | 2009-05-27 00:12 | 千葉県富津市

無題。

最期の言葉は他愛のない再会の言葉。
別れの言葉じゃなかったよね・・・。

「また来いよぉ」

「うん。また来るよ」

祖母の告別式では長男として喪主として、気丈に振る舞っていた叔父。
気丈に・・・なんて言葉は軽すぎるかな。
命を迸らせながら務め上げた喪主だったよね。
責任感の強い叔父でしたから、
自分の身体のことは二の次にして、
満足に勤めあげれないことへの歯がゆさもあったんでしょう。
僕が着くなり、「今日一日、頼むな・・・。」と、
「ぎゅ~っ」って交わした固い固い固い握手は、
今もずっと僕の手の中で生きています。

先に命の期限を宣告されたのは叔父のほう。
「半年」と告げられてから生きながらえた1年は、
凄まじいまでの闘いの日々だったことでしょう・・・・。
それでも母親の最期を看取り、長女の出産の報を聞き、
僕のような小童が言うのも失礼ですが、
限られた命の灯火の中で、本当に立派に責務を果たされたことと思います・・・。

早かったぁ・・・。
まだ祖母の四十九日も終わってないのに・・・。
急でしたね・・・。
前日まで「退院して家に帰る」って言ってたのに・・・・。
生死というのはそういうものなのかも知れませんが、
昨日と今日の違いが、生と死の違いだなんて、
酷な現実ですよね・・・。

すいません。
捌け口が無くて、苦しくて潰れてしまいそうだったもので・・・。
仕事、戻りますね。
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by monsieur-enfant | 2009-05-22 17:16 | 千葉県富津市

命萌ゆる春の別離

天国のおじいちゃんからも良く見えるような


どこまでも透き通った空の下


木々は日に日に緑の深さを増し


水面を湛えた田んぼからはカエルの声


庭先には気持ち良さそうに鯉のぼりがはためき


寒くないように暖かな陽射しが辺りを照らし


暑くないように涼やかな風が頬を撫でる


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「その日」は慎ましくしめやかに過ぎていきました。
多くの人に囲まれて、温かい涙で満ち溢れた、良いお別れの1日となりました。
沢山のメールもいただき、会ったこともない祖母の冥福を祈ってくださった方々、
心から御礼申し上げます。



さぁ、GWです。
頑張らなくっちゃ・・・ね。
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by monsieur-enfant | 2009-04-30 03:58 | 千葉県富津市

帰郷

次に帰るときは、こうなることは覚悟してましたが、
今晩、田舎に帰らせていただきます。

特別な出来事ではなく、みなさん経験されてることですから、
わざわざ書くこともなかったんですが、
お店っていうのは、こうした生身の人間の生き死にを含めた人生が背景にあること、
綺麗ごとだけじゃなく知っていただけたら・・・と思いまして。
当たり前のことなんですが忘れがちになってしまいますよね。
お店を「物」としか捉えれない方も見受けられます。
でもこうして、同じように哀しみに直面もしますし、
笑い、泣き、怒り・・・、「人」が営み「人」と交わる、その媒体がお店だと思うんですね。
そんななか、たくさんのメールをいただき、ご心配をおかけしました。
祖母は膀胱癌だったんですが、一度は完治したんです。
その間に同居してる叔父が発病し、半年の命の宣告を受けました。
その叔父は薬が合ったのか、気力で持ちこたえてる中での、
まさかの祖母の再発でした。転移してたんですね。
胃の出口まで侵されてたようです。

明日1日、シュクレ始まって初ですが、
スタッフに店を預けて祖母に逢いに行かせてもらいます。
仕込みは今日ちゃんとしてきたので大丈夫だと思います。
しばらくブログも滞ってしまうかも知れませんが、
記事も溜まってますし、そのうちシレッと書き出すと思います。
いただいたメールの返信も、
周年でいただいたお手紙やお花のお礼状も、
全て帰ってきてからになることをお許しください。

そうこうしてるうちに時間が危うくなってきました(笑)
新幹線に乗り遅れないように今から・・・・いや、お風呂入ってから行って来ます。
チケットもまだですが・・・大丈夫かな?
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by monsieur-enfant | 2009-04-27 16:39 | 千葉県富津市

やっぱり朝は来るんですね
白々とゆっくり、陽はまた昇る。

あかんあかん・・・考えるとうずくまってしまう。
今日も通しで仕事。しかしそれに救われてる。
お風呂に家に帰った時に報は届いた。
真夜中の母からの着信、それだけで察しはついた。
空っぽでした。涙も出ない。実感も湧かない。
でも・・・5月の僕の誕生日には逢いに行くって言ってたのに・・・。
「あ、連絡入れとかな」
容態を気遣ってくれてた人宛にメールを書いた。
自分が報を受けたときは実感しなった現実が、
活字として目に飛び込んできたとき、
悲しみは一斉に零れ落ちた・・・。

ちょうど今、母からメールがあり、
「しっかりパンを焼いて下さい」と。
今朝も1時から仕事して朝出てきたスタッフとバトンタッチしたところ。
「焼いてるよ!!ばあちゃんの初孫やからな!!」
返信したその文字を見て、また一人むせび泣く・・・・。
今はまだ整理がつきません。
途切れ途切れ、文を連ねながら心を落ち着けています。

ただ一つ、
神様、
痛くしないでくれて、ありがとう。

おばあちゃん。
ゆっくり休んでね。

僕は、コックコートという鎧に支えられ、また厨房に戻ります。








でも、もう一目・・・・逢いたかったよ・・・・・
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by monsieur-enfant | 2009-04-26 04:13 | 千葉県富津市

木更津へ向かう途中、慣れ親しんだ場所へ寄ってもらうことに。
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坂の左手に見えるのが、元の家。母が生まれ育った家です。
幼少期の僕の「おばあちゃんち」です。
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家の目の前には「神明神社」。
子供の頃は「しんめさま」と言って、よく境内で遊んだものです。
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正面から。子供の頃の両親との写真も、この辺りでよく撮っています。
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「大きくなったなぁ」って、思ってくれてるのかな?背だけは伸びましたからね。
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本殿の横の階段。「こんな低かったっけ!?」
子供の頃、よく同じ夢を見たんです。ホントに同じ夢ばかり。
リアルなお化け屋敷・・・いや、夢ながら子供にしてはリアル過ぎました。
昔の木のゴミ箱の中に女の人のお化けが座ってたり、
生々しい想像力は子供の頃からありましたね(笑)
いや、半端なく怖いんですよ。
で、いろんなお化けに追いかけられ、最後は命からがら小さな窓から飛び出すんです。
そこが、ここに繋がってるんですよ。
それが一つ。
もう一つは、ただあの赤い手すりを持って階段を上る夢です。
知らないおばさんがいたかなぁ・・・。一人だったかも知れない。
子供心には、とても高い階段だったわけですよ。
夢の中ではもっとです。真っ暗な中、真っ赤な手すりだけが見える中、
ただ上っていくんです。と、突然落とされるんです。もう階段ではなく奈落の底なんです。
で、あのジェットコースターとか、車でも急に下ったら一瞬「ふわっ」って、
横隔膜あたりが「ふわっ」って気持ち悪くなる一瞬あるでしょ?
あれで起きるんです。急に落とされて「ふわっ」って横隔膜が浮くような感じになって、
真っ暗な奈落の底に落ちる夢を嫌というほど繰り返し観てた幼少期の僕・・・・。
逆に問題でしょ(笑)こんな子、子供にしたくないでしょ?(笑)
でもホントによく観たなぁ、この2つの夢。なんか意味でもあったんかな?
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「しんめさま」からは、木々の間から「おばあちゃんち」が見えました。
「あゆむ~!お昼だよ~!」って、あそこから呼ばれていたような。

「しんめさま」から伸びるこの道の突き当たりに海があります。
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ほら、こんな静かな町なんです。・・・・村かな。
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ここはよく来た浜辺の公園「おしゃべり公園」です。
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ま、喋ろうにも子供は一人もいませんけど。
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「おばあちゃんち」から歩いて・・・子供の足でも10分くらいかな。
「大貫海水浴場」。ちなみに貝ガラだらけですけど(笑)
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磯の香りは、いつも祖母を思い出させます。
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女の子が欲しくて欲しくてたまらなかった母は、
物心付く前の僕にビキニを着せて、この浜で遊ばせてたことを後に写真で知りました。

懐かしいなぁ・・・。なんてことない景色ですけど、僕には大切な大切な景色です。
さ、木更津からまた品川に移動。
駅まで送ってくれた母の2番目の妹「えみちゃん」。
千葉に行くと決めた時にも「ホントに来れんの?」って言ってたけど、
僕も今年で35歳ですから(笑)
駅まで見送りにきてくれた「おばあちゃん」。ありがとね。
月並みですが、長生きしてください・・・。

ちなみに末っ娘の「みっちゃん」と上記の「えみちゃん」は、千葉の片田舎から(失礼・・・)
なんと渋谷まで出てきて、モンテベロのお菓子を買いにきてくれました。ありがとね。
大阪まではなかなか来れないからね。
そういう意味でも、今回東京でやって良かったと思ってます。
さ、東京でパティシエールと合流です。
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by monsieur-enfant | 2009-02-07 02:23 | 千葉県富津市

「命」

品川から高速バスに乗り、千葉を目指す。
どれぐらいぶりかすらわからない、久しぶりの訪問。
子供のころは、お正月には必ず帰っていた母方の田舎。
生まれ育った家が、引っ越しにより今は無い僕にとっては、変わらぬ心の故郷。
静かで緩やかな時間の流れる、海沿いの小さな町。・・・村かな?(笑)

今回の帰省は東京の催事に合わせてのことでしたが、
他にも、どうしても来たかった理由がありました。
祖母と、叔父が相次いで病魔に襲われたんです。
祖母は一度完治したと聞きましたが、また再発してしまい、
叔父に至っては、発症時、命の期限まで宣告される病状でした。
僕の母親が20歳の頃、台風の中船を出した祖父が帰宅後亡くなってから、
夜が明けぬうちから天秤棒担いでお魚を売りにいったり、
体調が優れなくても「欲しいって人がいるから」って、お花を背負っていったり、
真冬に冷たい水に手を入れ魚をさばいてる姿を、
幼心に尊敬の念を抱きながら見ていました。
叔父は、とにかく元気で、声も大きく気風の良い人でした。
周りにも慕われ、責任感も強く、病状をを聞いた時には耳を疑いました。

本人も含めて、周りも想像を絶する毎日だったと思います。
断続的に状況を聞くだけで、その場で闘ってるわけではない僕なんかが、
一体なんて声をかければいいんでしょう・・・。
頻繁に顔を出してるわけではない僕が、行くこと自体不自然なんじゃないのかな・・・。
何もできるわけでもなし、逆に迷惑になってしまうんじゃないかな・・・。
母に促され電話をしてみても、
「元気になったら、お店見に行くからな!今は無理だぞ。元気になってからな!」って、
励ますどころかこっちが背筋を正される始末。
そんなとき、東京の仕事が入ってきました。
背中を押されるように、千葉行きを決めました。

1時間くらいで木更津の駅に到着。
母の一番下の妹が車で来てくれました。
見覚えのある景色、耳馴染みのいい千葉弁。
そして何より、幾つになっても何をしてても「叔母と甥」なんですね。
ここに来ると皆「あゆむ、あゆむ」と、変わらず可愛がってくれる。
大阪には無い、心休まる環境です。
最寄り駅は大貫。
車じゃないといけない場所に今は叔父の家族と祖母が同居しています。

どんな顔して入ったらいいのか・・・そんな気持ちはすぐに拭い去られました。
祖母は思ったより元気そうで、安心しました。
叔父は、家でも車いすで、抗がん剤の副作用もあり、容姿は変わっていましたが、
今は気持ちも病状も落ち着いてるらしく、元気に迎えてくれました。
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具沢山のカレー鍋でのおもてなし。
野菜と海の幸のお出汁が良いお味でした。
昔ながらの祖母の漬けた白菜や魚の煮付けも、嬉し懐かしの味付けです。
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普段あまり食べれないと言ってた叔父もよく食べてくれてました。
母の2番目の妹も駆けつけてくれ、賑やかな夕食となりました。
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祖母です。

お鍋から雑炊まで進み、お腹一杯でお開き。
それぞれ家路につきました。
叔父は普段ならもう寝てる時間らしいのですが、昼間に病院から帰ってくるなり、
「今日は歩が帰ってくるから特別だ」と昼寝をしてくれてたそう。
自分の身体が辛いでしょうに・・・・その気持ちだけで十分やのに・・・。
テーブルも片付き、テレビを観ながら、
「何度も駄目だと思ったよ」
話づらい僕の気持ちを察してか、ポツリポツリと話してくれました。
手足が動かなくなった時、リハビリが指を動かすことから始まり、
投げ出しそうになったこと。その時に、脚の無い人が懸命にリハビリしてる姿に、
「五体満足の自分が投げ出したら駄目だ」と勇気付けられたこと。
さっき見せてくれた写真には、楽しそうなお正月の写真に混じって、
病室での写真もありました。家族と笑いながら写ってる陰に、
「誰とも会いたくない日もあった」って洩らしてました。
淡々と話す叔父の言葉が、深く深く痛いほど胸に刺さります。
「寝てしまったら、このまま眼が覚めないんじゃないか」と、
不安で頭がおかしくなる夜もあり、睡眠薬も手放せないようです。
「こんなに周りに支えられてると思ったことは無かったよ」
一人では闘えなかった。周りに支えられ助けられ頑張ってこれた。
そんな感謝の言葉が何度もあった気がします。
昨年、「半年の命」と宣告されてから、もうすぐ1年が経ちます。
本人の生きる意志が、か細くなった命の炎を力強く灯し、
その灯火を周りの人間が雨風から守るように、そっと手で覆って守ってきたのでしょう。
今こうして「生きている命」を目の当たりにしました。
一日を生きるために、僕らの何倍も何倍も命を燃やして生きています。
果たして僕らはどれだけ命を燃やして生きれているのでしょうか?
昨年から今年にかけて、命というもの、生きるということ、
考えさせられることが度重なりました。
結局何も出来ない自分の無力さや、命の平等さ故の不平等さ、
抱えきれず処理できず、こんな文を綴ったのも1年前でした。

翌朝、起きてみると皆起きてました。
なんだかそれすら素敵なことに思えて。
またこうして今日が始まることが決して当たり前ではないことなんだということ、
一体こんな僕の拙い文章で、何人の人に、どれだけ感じてもらえるのだろう・・・・。
中途半端な人間が、どれだけ何を表現できるのだろう。
また、それをすべきなのか否か・・・・。
悩んで考え、言葉を選び、もう書くの辞めようとも思いました。
でもやはり、懸命に生きようとしてる人がいることを、一人でもいいから知って欲しかった。
世界中には数え切れない様々な苦難困難に直面してる命があるのを、
頭では簡単に理解していながらも精一杯生きれてない人があまりに多い気がします。
今の世の中「生きてるだけで幸せ」なんて
奇麗事の言える世界では無いかも知れません。
でも、簡単に投げ出したり、諦めたり、「私なんて・・」と挑むこともしなかったり、
やりもしないで絶望したり、何かのせいにして顔を背けたり・・・。
どう思って欲しいとか、どう捉えなきゃいけないとか、
僕にもそんな答えは見つかりませんし、そこに導く知性も教養もありません。
でも、少しでも生きることや生きてるということ。
何か感じてくれたら記した意味もあったのかと思います。

白梅が咲き、椿の花の蕾もふくよかに膨らみ始め、
耳を澄ませば春の足音も遠くで聞こえ始めている今日この頃。
「また来いよ」
そう言って叔父に見送られて東京に向かう。
「また来るよ」
そう言ったものの、またいつ来れるのだろう・・・。
「頑張れ!絶対、頑張れ!!」
苦しい病と闘う叔父に伝えるのは酷かも知れない「頑張れ」というありふれた言葉を、
何度も何度も何度も何度も心の中で繰り返しながら、
車に揺られ、帰路に着くのでした。
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by monsieur-enfant | 2009-02-06 04:10 | 千葉県富津市