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なないろめがね

カテゴリ:クラインゲベック( 1 )

在り続けるということ。

先ほどの「木田」さんから徒歩でも5分くらいかな?
ついで・・・と言っては失礼ですね。
初登場!僕が初めてお世話になったべーカリーです!

東豊中「クラインゲベック」
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そんなに頻繁に顔を出すわけじゃないですが、
今まで一緒に働いた人の店には行っても、
実際働いた店に行くのは、ここかパリくらいじゃないでしょうか。

ここは僕が最長期間働いた店ですし、
ホンットに何も知らなかったときからお世話になったので、
非常に思いで深い店です。
僕が入ったころは、ここもオープンして半年くらい。
あれから15年経ちました。
もちろん二十歳で始めた僕も今年35になり、
当時32歳だった店長も47歳に。
歳月は平等に刻まれていくものです。

店長が独立して初めての弟子が僕だったこともあり、
ホントに良くしていただきました。
全く怒らない人で、おそらく怒鳴られたのは1度くらい。
「怒らないのも才能やなぁ・・・」と思います。
当時の僕は他のスタッフに荒れくれ放題してましたから(笑)。
パンが何で出来てるかも知らずにこの世界に入った僕は、
店長が普通にやってる仕事ですら、見るのも初めて。
初心者であまりに出来ない自分と比較して、
「業界ではおそらく、黄金の手とか異名を持つ凄腕なんやわ・・・」とビビッてました(笑)
そういえば僕の最初のライバルは「島本さん」というパートのおばさんでした。
僕が初めての社員だったので、それまでは島本さんがナンバー2。
パン生地に触れるのも初めてだった僕はよく怒られましたねぇ・・・。
よく怒られたから、初めて誉められたことも今でもよく覚えてます。嬉しかったなぁ・・・。
そんな島本さんが、うちが何年目の時かなぁ・・・、テレビに出てるのをたまたま見てて、
店に来てくださったことがあったんです。
お互い辞めて以来、近況も知らず、10年近い歳月が流れていました。
テレビ出演の後で、店内も多少混雑してたと思いますが、
なんとなく目が合ったんです。
「あ!!島本さん!!」
店に出て近寄ると、もう島本さんは泣いてました。
「あの岩永君が・・・・・立派なお店出して・・・・」って。
僕もお客さんの前でしたが涙を堪えることは出来ませんでした。
もうめっきりおばあちゃんになった島本さん。
そりゃそうですよね。二十歳のガキが30過ぎのおっさんになってるんですから。
一緒に分割や丸めをして、怒られたり教わったり、たまに誉められたり。
そんな人に、こんな形で再会できるなんて・・・。
こんな形で恩返しができるなんて・・・・。
店やって良かったなぁ・・・と思えた出来事でしたね。幸せな時間でした。
今でも、元気にしてるのかなぁ・・・・。

店長も常々「お前が店やるのが楽しみなんや」って言ってくれてました。
行くたびに店が変わったり、どんどん独自の思考になっていく僕に、
「いつかお前は誰とも働かれへんくなってしまうんじゃないか」と心配してくれたり。
なんとか一緒に働いてくれる子が出てきてくれるってことは、
僕もかなり丸くなったんでしょうね(笑)

シュクレのオープンの際は、お客さんにいっぱい宣伝してくれたそうです。
「うちで働いてた岩永ってヤツが吹田で店やってるから行ってやっって!」って。
最近は「お前の名前出すと、うちのハードルが上がってしまうやろ」やって。
むしろ、内緒にしてるらしいです(笑)
僕がいたときは、パンドミが爆発的に売れてました。
上の写真しかなかった店舗も倍に拡張し、少しは貢献できたと思います。
店名はドイツ語ですが、ドイツパンは置いてません。皆無です(笑)
菓子パンや惣菜パンの豊富な、街のベーカリーです。
その「クラインゲベック」へのオマージュ(敬意)として、
シュクレのパンドミも全く同じサイズで販売してるんです。
唯一、日本での修行時代の面影が残るパンなんです。
毎日焼き上げるたびに、このパンだけはパリではなく豊中を思い出すんです。

挨拶を済まし店を見てると、なんだか無性に懐かしくなってきてしまいました。
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15年、変わらないパンたち。
あんぱん、メロンパン。このブログに出てくると違和感ありますか?
デニッシにあんこと生クリームを詰めた「小倉ホイップ」は当時大好物で、
「将来店やったら、これは絶対やろう」と決めてたアイテムでした。
今食べたら胸焼けしました(笑)歳ですねぇ・・・。
他店でパンを買うのも滅多にないのに、菓子パンなんて何年ぶりに買ったやろ。
でも、歳月の移ろいとともに変わっていったり無くなってしまってりするものが多い中、
ここに在り続けてくれてること、それだけで感謝です。
僕がこの世界に入り、店を出すまでの10年は、業界自体が大きく動いた時間でした。
当時はカフェもブーランジュリもありませんでした。
神戸でコムシノワさんが既存の枠をぶち壊し、
京都ではプチメックさんがフランスの風を運び、
その後、大阪でタケウチさんがパン屋の可能性をこじ開けました。
街中にカフェが溢れ、遂に5年前、岸部で無茶な店をする馬鹿も出現しました(笑)。
そんな時代の流れとは明らかに違います。
でも、この「クラインゲベック」という店も、一つの時代を泳ぎきった店の一つです。
15年・・・・まだ5年の僕には想像も出来ない世界です。
でもこうして実際続けてくれてるから、僕もやってみたいと思えるんです。
とりあえずの目標は10年ですが、自分は、店は、どう変化し、何を貫いているんだろう、
そしてそんな僕らを、どんなお客さんが支えてくれてるのだろう。
同じ顔もいらっしゃれば、新しい顔との出会いもあるでしょう。
今から楽しみにしています。

クラインゲベックは、確かに今の僕とは全くスタイルは異なります。
でも、ここから全てが始まったことに変わりはありませんし、
僕はこの「クラインゲベック」という店が今でも大好きですし、誇りに思います。
あ、言っときますけど、私情挟みまくった結果ですからね。
客観的に見た場合?・・・・・僕には言えません(笑)
ほら、方向性が全く違いますからね。
この店で4年過ごし、この店を巣立ってから急に時間が流れ出しました。
その後4年間で6店舗。普通の人の3倍のスピードで駆け抜けた期間は、
記憶でさえも追いつかないくらいアッと言う間に過ぎたように思えます。
そんな目まぐるしい時間を過ごしても、帰って来れる場所がある。
ここには始めた頃の、ただ楽しかった思い出がある。
それゆえ自分の変化や成長も感じられる場所でもある。
在り続けてくれるだけで感謝感謝なのであります。

そしてシュクレも、いつか皆さんにとってそんな存在になれるよう、
1年1年積み重ねていきたいと思います。
ただここに在り続けることしか出来ないかもしれませんが、
在り続けることによってしか分かち合うことが出来ないのが年月です。
「ブーランジュリ」って、本来そうやって生活に寄り添って生きる店なんですよね。
そう、僕は、「クラインゲベック」のように地域に密着した店を、
生粋のブーランジュリという形で同じように表現したかったんです。
やはり、ここは僕の原点でしたね。
お身体には気をつけて、長く続けてくださいね。

こんなこと、面と向かって話したことないわ(笑)
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by monsieur-enfant | 2009-03-26 00:24 | クラインゲベック