2017年 06月 07日
鹿児島遠征 枕崎金七商店さん 〜本枯れ節への道〜
こんにちは。
・・・誰も居ない部屋に「ただいま」って言うような気持ちです。
ご無沙汰しまくってます。「なないろめがね」家主の岩永です。
久々過ぎて保存方法を忘れてしまい、一度全部消えましたが屈せず書き直しました。
みなさま、お変わりありませんでしょうか。
さて、こないだ、北新地移転後、1周年を迎えることができました。
その前には岸部が13周年を迎えることができました。
この過ぎた時間の全てが、僕らの今を作ってくれていますので、
振り返ることなくただ明日へと進むのみでございます。
そして皆さんが足を運んでくださることで生まれる未来へのチャンスを、
また皆さんに還元することで関係性が成立すると思っています。
大して何かに貢献できるわけでもありませんが、
「また何かおもろいことやってんなぁ」くらい思っていただけるよう頑張ります。
適度に可愛がってやってくださいませ。今後ともよろしくお願いします。
さて、なぜ急にブログに帰って来たかと言いますと、
周年のご挨拶もありますが、個人的にどうしても書いておきたいというか、
皆さんにも見ていただきたいことがありました。
南日本新聞に掲載していただいた記事です。
はい、鹿児島枕崎にある「金七商店」さんで、鰹節を学ばせていただきました。
と言うと、「何に使うんですか?」と、すぐ聞かれるのですが、
そんなことは僕にとってどうでもいい話です。二の次三の次です。
確かに、お取引をさせていただいてるお店さんは、出来るだけ足を運んでから決めてますが、
足を運ぶからといってお取引を前提にしてるわけではありません。
なので若干、「何しに来たの・・・?」みたいな空気になることもあります。
が、僕の目的は一つ。会いたい人に、会いに行くんです。
前々から話は聞いていました。でも、薄っすらとでした。
そもそも鰹節の知識がないもので、知識で入れても理解できないんです。
となると・・・、行っちゃうしかないですよね。
僕が興味を持ったのは、単純に「どんな人が、どんな想いで日々挑んでるんだろう」ってこと。
醤油や味噌と同じように、日本人の僕らにとって普通に身近にある食材。
ですが、そういう仕事は決まって後継者不足に悩まされ、
若者の地方離れもあり労働者の確保も困難になり、衰退して行ってるのが現状です。
そんな中、今、僕らに近い世代の跡取りさんらが現場に入り、
伝統を継承しながらも新たな価値を創造し発信している作り手さんが増えています。
うちの店頭にも「巽醤油」が並び、GREEN MARKETにも来ていただいてる愛媛の梶田商店さん。
秋田に行った時に伺えなかったのですが、新政酒造さんも大鉈を振るって今を切り拓いています。
ここ「金七商店」三代目、瀬崎祐介さんが何を想い何を伝えたいのか、
そして「古事記」にもその原型を成すものが記されている日本古来の水産加工品とは、
一体、どんな風に今に伝えられ守られているのかを感じて来ました。
鯉のぼりと並んで元気に泳ぐ鰹のぼりに迎えてもらった、心地よい風の吹く五月晴れの日曜日。
もともと良い気候の季節を選んで訪れることになってた、
東京青山「レフェルベソンス」の広瀬さん夫妻と内藤さん、愛媛「梶田商店」梶田さんの一行に、
「あ、僕も一緒に行ってもいい?」と、断り難いことこの上ないのを承知でお願いし、
もれなく参加させていただきました。
初めまして、の4代目、瀬崎祐介さん。
空港に迎えに来ていただいた時に、「あ、絶対嘘のない人だ」と感じました。
それは枕崎への道中で繰り広げられた梶田さんのオチのない話にも、
嫌な顔一つせず聞いていた姿で確信に変わりました。
写真の説明はこれしかありませんが、実際は骨抜きの時間が大半を占めるんだそう。
枕崎に140軒あった鰹節屋さんも、今は40軒に減ってしまってます。
これから更に減っていくことはあったとしても、増えることは現実的に難しいでしょう。
せめて、知ることで鰹節への意識を持ち、食べてみることで、その違いを感じていただきたい。
流されることなく真っ当な仕事を貫き次の世代に残していくには、
現場の努力だけではどうしようもない部分もあるのです。
引き継がれていくのは技術だけではなく、物作りの魂みたいものがあるように思います。
安く手軽に手に入るものが重宝され、物差しに偏りを感じる今の世の中。
その魂が、あっちでポツリ、こっちでポツリと消え続け、
そのうち世の中が魂のないもので溢れて来る未来は、想像に難くありません。
何を選び、何に価値を感じ、何に対価を払うのか、
その選択が僕らが未来へ何を繋げていきたいのかという、意思表示にもなるのです。
忘れてはいけないのは、未来は誰か任せではないってこと。
僕たち皆んなで創っていくもんだってこと。
選択の権利と責任は、今を生きる一人一人にあるのですから。
さぁ、お腹もいっぱいになったところで、
寝てしまわないうちに一緒に学びを続けましょう。
今の時代、「売れたもん勝ち」の風潮が強いのは、
やはり消費者の無知・・・というより無責任さにもあると感じます。
自分が摂るものでしか、自分の身体は作られません。
それ以外のもので勝手に身体が作られることはないのです。
何を選ぶのかは自由です。ただ、意思を持って選んでいただきたい。
値段が張るものを、今、身の回りにあるものと単純比較して「高い」と切り捨てるのは、
やれることの全てをやったつもりでも、結果が必ず伴うわけではありませんが、
やれることの全てをやらなかった段階で、結果を望む資格すら無くなるんじゃないでしょうか。
#
by monsieur-enfant
| 2017-06-07 17:11
| 鹿児島枕崎 金七商店
2017年 02月 14日
振り返り・・・ながら全速力で走ってる感じ。
小さな店ですが、みんなで手分けしながら開店に向かって準備します。
僕らは店内に戻り、最後の準備を続けます。
その間に並んで待っていただいてた皆さん。
最後の開店を待ちわびてくれてるその胸に、
うちの店は何か残せてるのかな・・・?
オープン直前には、本当に長蛇の列となりました。 先にも書きましたが、この日は平日の木曜日。 正直、こんなに並んでいただけるとは思いもしなかったです。 評価をいただこうが知名度が上がろうが、 店に足を運んでいただくことほど、明確なメッセージはありません。 近隣のお店や住人の方々には、度々ご迷惑もおかけしましたが、 それもこれも、この日が最後。 岸部という地で、この日を超える行列を見ることはもうないでしょう。
モンテベロも、準備が進みます。 隣でしっかりシュクレを支えてくれた戦友です。
ショーケースにも並び始めました。 本当に、「いよいよ・・」のなんとも言えない緊張感が高まってきました。
シュクレ号は・・・何してたんだっけな・・・。 この日も配送あったっけな・・・。 ただ風を通して日向ぼっこしてるだけだったかな・・・。 働いてたらごめんなさいね。
さ、うちもショーケースにパンが並びました。 いつものように、しっかりパンを焼き、 いつも以上に、しっかり準備も整いました。 あとは、シャッターを開け、お客さんを迎え入れるだけです。
そう、いつも繰り返してきたこと。
いつもいつも繰り返してきたことです。
「オープンします!」の掛け声と共に、 シャッターを開け、お客さんを招き入れます。 長い時間待っていただいたお客さんも、 嫌な顔一つせず、この瞬間を待ってくれてました。 そして口々に「ありがとう!」と言ってくれたこと、 本当に一生忘れません。 今も書きながら思い出しても泣けてきます・・・・。
モンテベロにも、お客さんがたくさん来てくれてます。 シュクレに来たり、モンテベロに行ったり、 かなり長い時間を岸部で過ごしてくださった方も多かったようです。
北新地では、まだあまり見れてない光景。
北新地では、まだあまり見れてない光景。
やはり生活圏ならではの良さの一つですね。
お母さんに手を引かれたお子さんの姿、
自転車の前後に乗せられながら来るお子さんの姿、
一目散にショーケースに駆け寄って来るお子さんの姿・・・。
受け入れられるか不安だった自分のパンを、
小さいお子さんが食べてくれてるのは、
大きな自信になりましたし、支えでもありました。
姿を見ただけで、お互い一気に涙腺が崩壊しました(笑)
フランスから先に帰国し開店したのは僕でした。
パリの店の屋根裏部屋で、
ソファーベッドに2人で寝転び熱く語った夜(仕事の話じゃなかった気が・・)、
後から帰国する米田シェフに、
「言ってたことと、やってること違うやん!」って思われたくなかった。
そんなやつ普通にいっぱいいますが、その「いっぱい」側には立ちたくなかった。
語らずとも全ての時間と想いを一瞬で共有できる友であり、
きっとある部分では身内やそれ以上の存在でもある米田シェフに、
「一先ず、おつかれさま」と労ってもらえたことは、
関心されたり呆れられたり、
東京に支店を出したパリのパン屋のシェフが訪ねて来て、
「マジで!?日本でこんな店やってんの!?」って驚かれたり、
特異な店という印象は欲しいままにして来たシュクレクールですが、
そんな僕が「こんな店、日本でやっていけんの!?」と驚愕したのが、
六甲道が本店だった頃、
初めて「メツゲライ クスダ」に伺った時の印象でした。
ずっと皆さんを迎えてくれた、
誰が呼び始めたのか「シュクレくん」。
実は真っ白だった傘立てを、「塗ってもらえんちゃう?」と軽く頼んだのが、
「板金塗装は樋谷自動車!」でお馴染みの樋谷さん。
いつもどんな時も、ずっと応援してくださってるお二人も、
節目のこの日に駆けつけてくれました。
シュクレくんを北新地に連れていかないことは、
「岸部を必ず再開しますんで」とのことで納得していただけました(笑)
わざわざ名残を惜しみに駆けつけてくれました。
1人1人の顔を見ると、それぞれの時期をちゃんと思い出せます。
橋本(現・アシッドラシーヌ)と過ごした時間は、
言葉では言い尽くせないほどの濃度と熱さだったと思います。
彼が築いた礎を、必死に繋いで繋いで、今のモンテベロがあります。
・・・置いてかれた負の遺産もなかなかのもんでしたけど(笑)
夜になっても、お客さんはたくさん来て下さいました。
パンが無くなっても閉店時間までは開けてようと思っていましたし、
パンが無くなっててもいいから、
最後に駆けつけたいと思ってくれる人たちがいてくださいましたし。
投げてばかりいたって、受け取る人がいなければ成立しないんです。
確かに皆んなが皆んな、正しく受け取ってくれるわけではないけれど、
だからこそ来る日も来る日も同じ球を投げ続けて来たわけです。
「店と客」の単純な図式では見れなかった景色が、
それ以上の関係性が築けてからこそ見れた景色が、
ここから広がっていくわけです。
それでもお客さんは後を絶ちません。
僕らにも物語があるように、
ここに通ってくださった皆さんにも、
それぞれシュクレクールを絡めた物語があるんですね。
つくづく、この店はすごいな・・・って思いました。
そして、「え?どんだけ作ってんの?」ってくらい、
焼いても焼いても、まだ焼くパンが残ってるんです。
神様がイタズラして、無くなってるのに勝手に追加してるかのようでした。
本当は夕方には焼き切って、
表に出て皆さんとお話しする予定だったんです。
が、幸せなことに、パンを1日焼き続けて終えることができました。
こんなにこんなにパンを焼かせてもらえるようになったこと、
こんなにこんなにパンを焼かせてもらえるようになったこと、
それが12年の軌跡の全てだったような気がします。
モンテべロ吉田の言葉を聞きながら、
とても長く、とても重く感じました。
ささやかな、たかが数年の小さな歴史でしたが、
ここに刻まれた、この店に叩きつけられた想いの数々は、
閉じた扉の中に仕舞われることなく、
この店に携わった全ての人の中で生き続けてくれることでしょう。
外にもたくさんの方々が残ってくださってたんですね・・・。
この日は、岸部閉店から北新地開店までを追いかけてくださった、 「LIFE」という番組のカメラや照明があったわけですが、 僕が店内から外に出た時に、 ちょうどその照明に照らされて、 暗闇の中にたくさんのお客さんの待つ姿が浮かび上がって見えたんです。
いやもうね・・・・、
いやもうね・・・・、
その光景と言ったら言葉にならなかったですよ・・・。
本当に、本当に大変でしたけど、
「大変」なんて薄っぺらいくらい魂が擦り減るような日々でしたけど・・・、
この店は、最後の最後に、
僕にこんな素敵な贈り物を用意してくれてたんですね・・・。
そして本当の最後は、
そして本当の最後は、
どう足掻いたって僕1人では出来なかった店です。
その店に見守られながら、ここで共に時間を過ごしてくれたスタッフたちに、
この時ばかりは日頃の恨み辛みなどは一旦忘れてですね(笑)、
心からの感謝を伝えさせてもらいました。
これにて、12年続けさせていただいた営業に、
一旦、幕を降ろさせていただきます。
その音が、なんだか哀しくて哀しくて。
「この場所から放った想いが、地元にしか届かないではダメだ!
失速させることなくそのまま全国に届くくらいじゃないと!!」
岸部という街から本気でそんなこと思うような、
そんな無茶な主人と出会ったおかげで、
この店は声が張り裂けんばかりに叫んでくれたんだと思います。
誰も聞いてくれない頃から、今日までずっと。
そろそろ、ちょっと疲れて来た頃だと思うんです。
いろいろ、キャパオーバーになっちゃったもんね。
ありがとう。
ご苦労さま。
ちょっと休もうね。
ただ、今までと同じやり方で営業することは難しい。
その手段がちゃんと決まらない限り、
易々と「再開します」とも言えなかったんです。
予想通り、好き勝手言われましたね。
「岸部捨てるんや」とか、
「やっぱり移転した」とか、
一言も想いを交わしたことのない人たちの何の責任も伴わない言葉には、
「お前らに何がわかるんじゃ、こら!
一番この地にこの店に思い入れがあるのは、
誰より俺に決まっとるやろが!!
再開した暁には、詫びの一つでも入れんのやろな!?」
な〜〜〜〜んてことは、学び舎で学んだおかげで言わないのでした。
#
by monsieur-enfant
| 2017-02-14 23:17
| シュクレクール
2016年 03月 30日
最終営業日を前にして。
初代シェフの橋本(現アシッドラシー何とか)を中心に、
現スタッフとのコラボイベントが行われました。
本来、定休日にも関わらず、
オープン前からたくさんの方に並んでいただき、
橋本の仕事遅れで開店時間が30分遅れたにも関わらず、
穏やかに待っていただけたこと、感謝しております。
東京からも、中村樹理子(TIRPSE)、大谷理恵(L'Effervescence)の、
元モンテベロ組がコラボ焼き菓子を提供してくれたり、
なんやかんやと賑やかな1日となりました。
シュクレの3年目にオープンしたモンテベロ。
東京でやれてるフランス菓子が、なんで大阪で出来ないのか、
Pâtisserieなんて名ばかりで洋菓子の店ばっかりじゃねえか、
結局のところ、出来ないんじゃなくて、やらないだけなんじゃないかという、
パン屋からの菓子屋に対する当てつけみたいな形でオープンしたわけですが、
(「パン屋と違う角度でフランスを表現する手段として」も、20%くらい入ってます)
思い返せばオープン初日でほぼ全商品を入れ替えるという、
なかなか情けないスタートを切ったモンテベロ。
そこからシェフとスタッフの成長と共に店も成長し、
またそのシェフ交代を機にゼロからのスタートに戻り、
またシェフとスタッフを育て活かしながら・・・を繰り返し、
シュクレでは味わうことのなかった難題を有り難くいただきまくり、
僕自身も、ある時は苦虫を噛み潰すような日々に精神がいかれかけながらも、
「モンテベロ、やらなきゃ良かった」と一瞬足りとも思わなかったのは、
その中に多々あった気づきや学びも要素としてはありますが、
結局のところ、ここをやらなきゃ出逢えなかった「人」に尽きると思います。
実は、何度か本当に閉めようと思ったこともあり、
我慢に我慢を重ね、苦しみ抜いた挙句、
橋本に閉めるかもしれない旨を報告に行ったこともありました。
「50年続く店になりますように」と、身勝手な理想だけ置いていった橋本ですが、
「その気持ちに応えられそうにない・・・」と伝えに行ったことを思えば、
こうしてハレの舞台を用意してもらって閉店出来ることを、
むしろ本当に幸せなことだと思っています。
橋本以降、綱渡りだった店を引き継いで繋いでくれた、
大谷、前原、両シェフに改めて、
この日を迎えれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
2人がバトンを落としてたら、今のモンテベロは無いんです。
自分たちなんて・・・って思うかも知れないけど、
繋いでくれたからこそ生まれたものが、今、確かここにあります。
名前もなく、自信もなく、不安に押し潰されそうな中、
重い重い責任だけ背負わせてしまっていたんだと思います。
本当に、申し訳なく思っています。
そして、本当に感謝しています。
他にも、橋本時代、シェフクラスの活躍をしてくれた細井(15℃)、
今でも何かしら頼んでもないのに駆けつけてくれる高橋(ボンヌターブル)、
絵美さん始め立ち上げを盛り上げてくれたみんな、
しんどい時代を支えてくれたマミちゃん、
必死こいて良い店にと闘ってくれた鶴賀谷、
いろいろあって書けない面子も多々いますが、
みんなのこと、ちゃんと覚えてます。ちゃんと店に活きてます。
そして、そんな浮き沈みの激しい店にも関わらず、
見放さず応援してくれてきた、愛のあるお客さんの皆さま。
そのみんなに見て欲しかった、23日のショーケースです。
ね、本当に、良い店になったでしょ?
アイテムじゃないんです。
味の良し悪しだけでもないんです。
繋ぎ、紡がれた時間、
交わした言葉、激しくぶつかった感情、笑いあった一時、
そこに携わってくれた人たちの想いの全てが、
欠かせない要素として「今」を作っているんだと感じます。
そして、それらを引き継いだ現スタッフのみんなが、
ここに写ってない全員の想いを引っさげて、
新たな未来を拓いて行ってくれることと思います。
ありがとう。
しか言えない、頼りないオーナーでしたが、
みんなが愛してくれたモンテベロを、
みんな諸共愛しています。
本当に、ありがとう。
誰も欠けることなく、
この言葉が届きますように。
そして、31日の最終営業日、
シュクレとモンテベロ、
2店も抱えて、どう感情を処理しようかなと思っていましたが、
おかげさまで明日はモンテベロはシェフの吉田や高橋、芳枝さんに任せて、
僕はシュクレ一本で行かしてもらえそうです。
行きます。
最終営業日。
特別なことはできませんが、
誰よりも強い想いを込めて、
この地で焼く最後のパンを、
届けたいと思います。
受け止めてもらえると、
とっても幸せです。
#
by monsieur-enfant
| 2016-03-30 21:42
| シュクレクール
2016年 03月 03日
今月末で、本当にお別れなのです。
右目と左目をパチリパチリ、
瞬きしてる間に、
3月になっちゃった気がします。
早いもので、
岸部での最終営業月なんですね。
なんか、いろんな感情が入り混じって、
勝手に涙が出てくるのです。
なんか、いろんな感情が入り混じって、
勝手に涙が出てくるのです。
それでも、
ここで焼かれてたパンを
忘れられないよう、
ここで焼かれてたパンを
思い出してもらえるよう、
胸の奥の方に叩き込むような仕事を、
この1カ月、
ぶちかまして終わりたいなと思います。
って書きながら・・・、
やっぱり勝手に涙が溢れてきます。
ぶちかまして終わりたいなと思います。
って書きながら・・・、
やっぱり勝手に涙が溢れてきます。
困ったなぁ・・・。
#
by monsieur-enfant
| 2016-03-03 23:56
2015年 12月 29日
今年最後の締めの挨拶のようなもの。
本年の営業を無事終わらせていただくことができました。
足を運んでくださった皆さま、
応援してくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
今年は、どんな年だったかと言われると、
やっぱり避けては通れないのが「移転」の発表ですよね。
そうなると、「決断の年」だったのかな、と。
今年のクリスマス、
23日の営業の為にパンを焼き始めたとき、ふと、
「あ・・・、こうしてここでクリスマスを迎えるの、
最後なんだろうな・・・」、なんて感傷的になってみたり。
そう思いながら、焼きあがっていくパンを、
パチリ、パチリ、そんな暇もないくらい忙しいのに、
なんかその一瞬が愛おしく思えて、写真を撮っていました。
クリスマス、僕の修行時代はあんまり関係なかったんですが、
いつの間にやら忙しくさせていただくようになりました。
うちのこと知らない人でも、なんとなく「フランスパンのお店」ってイメージが、
2年か3年くらいかなあ・・・、ついてきた実感がありました。
地元の人でも、年に一回、この日くらいは食べてもらえるようになった気がします。
バゲットは、オープンしてから10本も売れない日々が続いて、
それが20本売れた日のこと、今でも忘れれません。
大台に乗った!・・・というと大袈裟に聞こえるでしょうけど、
「ああ・・・、20本、店頭で売れる日が来たんだ・・・」、
そうしみじみ喜びを噛み締めたのを覚えています。
そんな中、何年目だったっけな・・・、
クリスマスにバゲット100本作らせていただきました。
もう嬉しくて嬉しくて。
開店当初を思えば、夢のような本数でした。
これだけの人が、こんな大事な日の食卓に、
わざわざ岸部まで足を運んでくださるなんて、
職人冥利に尽きるってもんです。
それから150本になり、200本になり。
いつの間にか、生産が追いつかないようになりました。
こんな場所までわざわざ買いに来ていただいて、
「売り切れてしまいました」では、大切な日のパンを、
一体どこで買ったらいいのかと困らせてしまいます。
なので何とか頑張って仕込んでも、
今度は焼く回数が間に合わなくなってきました。
もちろん、バゲットだけ焼いておけばいいわけではありません。
全体を満遍なく焼きたくても、バゲットは売り切れないようにしたい、
パンドミは焼かなきゃいけない、レストランに出荷するパンも焼かなきゃ・・・。
今年も、皆さんにはご迷惑おかけしたと思います。
製造もいっぱいいっぱい、量も体力も、限界まで頑張って作ってますが、
疲れてクオリティが下がってしまってたりもしました。
窯も、開店時から同じ容量しかありません。
購入時にすでに10年落ちの中古だったんで、
今では大ベテランの20年選手になりました。
むちゃくちゃ頑張ってくれてます。
機械屋さんには「奇跡」と褒めてもらってます(笑)
ですが、焼ける容量に限界があることは否めません。
昔の物量とは比較にならない量を抱えても、
出口が同じでは時間が縦に重なっていくばかり。
今年、改めて思いました。
「やっぱりもう限界なんだ」と。
いろんなところに無理がたたり、
歪みが生じてきてるのを痛感しました。
これをね、どうしても改善しなきゃいけないんです。
仕方ないじゃなくて、どうしても改善しなきゃいけないんです。
僕は「飲食業で当たり前と流されてることの全部を、
良い方向にひっくり返したい」と常々言ってきました。
しかし、何も出来てません。何もしてあげれてません。
スタッフに、パンに、快適に過ごせる環境を作ってやりたい、
ただただ、この一点しかないんです。
僕個人に「どこかでお店を出したい」なんて気持ちは一切ないんです。
大阪市内、東京、思ったことないんです。
「お店作り」という点では、僕はシュクレクールで十分です。
こんな風にしたかった、あんな風にしたかった、そこそこ満たしてもらってます。
岸部でやっていけるものなら、それに越したことはなかったんです。
ですので、北新地に「シュクレクール」をやりに行くつもりはありません。
気持ちの中では、シュクレクールは岸部にあると思ってます。
そりゃそうです、誰にも理解されないくらいの想いは、僕が一番抱えてますから。
ただ今度は、ここで12年やらせていただいて感じた、
パンが出来ること、「食」を通じてしなきゃいけないこと、
たくさんの方々との出逢いで気づかされた「パン屋だから出来ること」、
様々な改善出来なかった問題をクリアにすることと同時に、
それらの発信地として、北新地「新ダイビル」さんという場所から、
新たなアナウンスを今よりもっと広く遠くへ発信していければと思ってます。
移転の発表から、
店頭でもたくさんの声をいただいてます。
発表の翌日、朝から膝から崩れ落ちて泣いてくださった方もおられます。
普段、滅多に話さないお客さんからも、
ショーケース越しにどれだけシュクレクールが大事な存在なのかを、
小さい子供を抱えながら涙を浮かべ話してくださった方もおられました。
いや本当にね・・・・、
考えれば涙が止まらなくなるので閉店のことは考えないようにしてますが、
そんなお客さんの声に「岸部でやって良かったなあ・・・」って、
心の底から思わせてもらえます。
年明けからは、寂しさも徐々に増していくんでしょうね。
でも、それを打ち消すくらい切羽詰ってるって言いますか、
あまり感傷的になってる暇もないくらいスケジュールはカツカツなのです。
大きな挑戦の年になるのは間違いないのですが、
それより3月のお別れのほうがヤバい気もします。
あと、こんなタイミングで何ですが、
以前、松本さんと宮迫さんとたむけんさんが来られまして、
簡単に食事された帰られました。もちろん仕事で、ですけどね。
その様子を撮影された番組の放送日が決まりました。
1月7日(木)「松本家の食卓」に出させていただきます。
「4時ですよーだ」の最終回、泣きながら歌ってるダウンタウンさんを、
泣きながら観てた世代なので、柄にもなくド緊張しておりますけど。
個人的には実は観たことない番組でして・・・。
時間的にも「雨トーーク!」の中盤くらいが限界。
朝の早い仕事ですからね。初めて観るのが自分が出てる回ってのも新鮮です。
良かったら観てやってくださいな。
それから来年からは、一旦、週休2日に戻らせていただきます。
いよいよ迫ってくる移転の準備と、スタッフが完全に揃わない中で、
人をシフトで回さず集中させたいとの意図からです。
火曜と水曜、モンテベロと同じ曜日での定休日となりますので、
くれぐれもお間違えのないよう宜しくお願い致します。
ちなみに、そのモンテベロは年末年始、絶賛営業しておりますので、
この異質な空間が名残惜しいと思われる方、どうか足を運んであげてくださいませ。
さ、長くなりましたが、
これをもちまして、本年の御礼の挨拶とさせていただきます。
スタッフ一同、積み重なった疲れをとり、
パンクしそうな脳みそを整え、リフレッシュして新年に臨みたいと思ってます。
束の間ですが、また元気な顔で再会できますよう、
皆さんも体調管理には十分気をつけて、良い年越しをお迎えください。
では、改めまして、今年一年、本当にお世話になりました。
来年は一層危なっかしい年になると思いますが、
変わらず可愛がってもらえると嬉しいです。
皆さんの一年が素敵な時間とともに締めくくられますよう、
新たな一年が、希望に満ちた一年となりますよう。
良いお年を。
#
by monsieur-enfant
| 2015-12-29 01:14
| とりとめなく・・