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なないろめがね

こんにちは。


・・・誰も居ない部屋に「ただいま」って言うような気持ちです。
ご無沙汰しまくってます。「なないろめがね」家主の岩永です。
久々過ぎて保存方法を忘れてしまい、一度全部消えましたが屈せず書き直しました。
みなさま、お変わりありませんでしょうか。


さて、こないだ、北新地移転後、1周年を迎えることができました。
その前には岸部が13周年を迎えることができました。
この過ぎた時間の全てが、僕らの今を作ってくれていますので、
振り返ることなくただ明日へと進むのみでございます。
そして皆さんが足を運んでくださることで生まれる未来へのチャンスを、
また皆さんに還元することで関係性が成立すると思っています。
大して何かに貢献できるわけでもありませんが、
「また何かおもろいことやってんなぁ」くらい思っていただけるよう頑張ります。
適度に可愛がってやってくださいませ。今後ともよろしくお願いします。


さて、なぜ急にブログに帰って来たかと言いますと、
周年のご挨拶もありますが、個人的にどうしても書いておきたいというか、
皆さんにも見ていただきたいことがありました。

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南日本新聞に掲載していただいた記事です。
はい、鹿児島枕崎にある「金七商店」さんで、鰹節を学ばせていただきました。
と言うと、「何に使うんですか?」と、すぐ聞かれるのですが、
そんなことは僕にとってどうでもいい話です。二の次三の次です。
確かに、お取引をさせていただいてるお店さんは、出来るだけ足を運んでから決めてますが、
足を運ぶからといってお取引を前提にしてるわけではありません。
なので若干、「何しに来たの・・・?」みたいな空気になることもあります。
が、僕の目的は一つ。会いたい人に、会いに行くんです。


前々から話は聞いていました。でも、薄っすらとでした。
そもそも鰹節の知識がないもので、知識で入れても理解できないんです。
となると・・・、行っちゃうしかないですよね。
僕が興味を持ったのは、単純に「どんな人が、どんな想いで日々挑んでるんだろう」ってこと。
醤油や味噌と同じように、日本人の僕らにとって普通に身近にある食材。
ですが、そういう仕事は決まって後継者不足に悩まされ、
若者の地方離れもあり労働者の確保も困難になり、衰退して行ってるのが現状です。
そんな中、今、僕らに近い世代の跡取りさんらが現場に入り、
伝統を継承しながらも新たな価値を創造し発信している作り手さんが増えています。
うちの店頭にも「巽醤油」が並び、GREEN MARKETにも来ていただいてる愛媛の梶田商店さん。
秋田に行った時に伺えなかったのですが、新政酒造さんも大鉈を振るって今を切り拓いています。
ここ「金七商店」三代目、瀬崎祐介さんが何を想い何を伝えたいのか、
そして「古事記」にもその原型を成すものが記されている日本古来の水産加工品とは、
一体、どんな風に今に伝えられ守られているのかを感じて来ました。


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鯉のぼりと並んで元気に泳ぐ鰹のぼりに迎えてもらった、心地よい風の吹く五月晴れの日曜日。
もともと良い気候の季節を選んで訪れることになってた、
東京青山「レフェルベソンス」の広瀬さん夫妻と内藤さん、愛媛「梶田商店」梶田さんの一行に、
「あ、僕も一緒に行ってもいい?」と、断り難いことこの上ないのを承知でお願いし、
もれなく参加させていただきました。

初めまして、の4代目、瀬崎祐介さん。
空港に迎えに来ていただいた時に、「あ、絶対嘘のない人だ」と感じました。
それは枕崎への道中で繰り広げられた梶田さんのオチのない話にも、
嫌な顔一つせず聞いていた姿で確信に変わりました。


鹿児島遠征 枕崎金七商店さん 〜本枯れ節への道〜_c0116714_22472342.jpeg

・・・と、隣はイベントがあると祐介さんのお手伝いに積極的に参加し、
地元では祐介さんより有名になってるという5代目の稜空(りく)くん。
この日も楽しそうにお手伝いしてくれてました。

今、この昔ながらの3種の包丁を使ってるところも少なくなってるそう。
右の包丁で身を切り、真ん中の包丁で背中の皮を薄く削ぎます。
左の包丁は2本しかなく、3代目と4代目、瀬崎さんとそのお父さんしか使えない大事な意味を持ちます。

まず、頭を落とします。骨に当たるまで垂直に下ろし、そこで横に滑らせます。
この「横の距離」が後に、本枯れ節にとって大事な形を生むわけです。


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ね、切り口が真っ直ぐじゃないでしょ?ちょっと斜めに見えますが、
ザクッとやって、クッ!クッ!とやってるので正確には単純に斜めってわけではないのですよ、はい。



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腹ビレに向かってY字にお腹を裂き、内臓を取り出します。



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この切り取った部分は「腹皮」(はらがわ)と呼ばれる、マグロでいうトロの部分。
ですが鰹節を作る工程では不要な為、安価で売られ魚屋さんに並んだり、お昼の賄いで食べたりするそう。
なので、賄いが美味しいと鰹に脂が乗ってることになり良い鰹節にはならなくて、
賄いの腹皮が美味しくないと鰹節は美味しく仕上がるという、なんともセンチメンタルな部位なのです。
もう一つ鰹の状態を見る部位として、「珍子」(ちんこ)があります。
これは、鰹の心臓のこと。白い筋が円状に付いてるのですが、その部分が多いと脂の乗った鰹。
つまり鰹節には不向きな鰹というわけです。この珍子は串焼きにしたり唐揚げや煮付けにもなるそうです。

そして真ん中の包丁に持ち替えて、背びれ周りの皮を剥ぎます。


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ここで薄く背びれが切り取られるわけですが、
そういえば昔、市役所だったか学校だったかで、新任の先生だったかなんだか、
頭に鰹の背びれを模した帽子かなんかを冠せられてた映像を観た記憶があったんです。
さかなクンをパロってると思ってたら、枕崎での習わしだったんですね(全校ではないそうです)。

そして鰹を縦に持ち、背骨の左右に包丁を這わせて身を骨から剥がしていきます。


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ちなみに魚をいつも横から見てるわけですが、縦向きが魚の本当の向きなんだそう。
「で、何が違うの?」って、なりますよね。わかりますよ、その気持ち。
魚の向きがどっちだろうが日常生活に一切影響しませんからね。
ですが・・・、鰹のお腹に付いてる縞を「横向き」と思ってた、あなた!
それ「縦向き」ですからね!!僕も今知りましたけどね!!

で、こうなるわけです!!
で、自分もこうなるはずでした!!


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ちなみについでに、もう一つちなませていただくと、
鰹が泳いでる時って縞は横向きだそうです。えー・・、人間目線だと縦向きです。
それが釣り上げられ興奮することで縦向きになるそうです。・・・人間目線だと横向きです。
まぁ、僕も知ったばかりですけどね。人生でこんなに鰹にアプローチしたことないですもん。

そして遂に左側にあった丸っこい包丁の登場です。


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考えたこともありませんでしたが、鰹節のフォルムの緩やかな曲線。
雄節と雌節に切り分ける際に、この丸っこい包丁を使って切り分けながら描いていたんですね。
このフォルムは、たくさんの鰹節に混じったとしても「これ、うちの形だ」って分かるそう。
それくらい大事で、尚且つラインの具合をなかなか言葉で説明できるものではないので、
ここは二代目のお父さんと、三代目の祐介さんしか触れないんだそうです。


・・・・・と、まぁこんな感じにサクサク捌いてしまうわけですが、
見てて思ったかもしれませんが、なかなか血が出るんですよね。しかも真っ赤。
あのカッチカチの鰹節からは、なかなか生身の鰹は想像しにくいとは思いますが、
全て「命」をいただき作られてることを、改めて認識することも大切なことです。
でも、全然生臭くないんです。特別な消臭はしてなくて、作業台に常に地下水が流れてたり、
ひとつひとつの道具をしっかり洗うといった当たり前のことを、徹底してるからなんですね。
・・・・と、話を逸らしてみましたが、はい、見学しに行ったわけではないのです。
僕らは体験しに行ってるのですよ!!


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四苦八苦してるように見えますか?あなた、良い目してますね。
でも、皆さんが思ってる8倍くらい四苦八苦してますから・・・。
ろくに日々魚も捌かないので、プロセスが全く頭に残らない!
おまけに「ここを、こうやって・・・」という説明のイメージも全く共有できない!
「・・・?」みたいな頭の中がバレないように真剣な顔して聞いてましたが、所詮このザマです。
一応、加工の行き先は良いの悪いのでいろいろあるようなのですが、なんとも命に申し訳なくて・・・。
その罪悪感を、ここで懸命に書くことにより払拭しようとしております(笑)



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・・・そう見えますか?イジけてるように見えますか?ああそうですか。
でもこれ、骨抜きしてるんです。確かに冴えない哀しげな顔してますが、
ただイジけてるわけではないのです。イジけながら骨抜きをしてるのです。
イジけながらも骨抜きしてるのです。イジけてるのは事実ですがそれでも骨抜きをしてるのです。
写真の説明はこれしかありませんが、実際は骨抜きの時間が大半を占めるんだそう。
朝から始まり、生切りを終えた昼食後は、ひたすら帰るまで骨抜きの人もいるみたい。
ここで骨や鱗の残った鰹は、この後の工程で曲がったり反ったりしてしまいます。
まっすぐ伸びた本枯れ節を作るには、地味ですが決して手を抜けない大事な作業なんです。


この日、僕らのために用意してくださってたのは鰹500㎏。
ですが、途中、「無理やな・・・」と変更されたのが300㎏。
それでも全然こなせず、捌き方も簡単なものに変えました。
大型の鰹は、本枯れ節にもなるため、祐介さんのお手本のように捌くのですが、
この捌き方をすると当然技術も要りますので「誰でも」というわけにはいきません。
人手不足の現状もあり、多くの会社がその技術より流れ作業を選択しているそう。
皆んなの手元に多くあるようなパック化の弊害ですよね。
細かく削ったり、粉にしてしまうのなら、良い仕事を施すことより量をこなすことを選ぶのが常。
ただ、それを簡単に「え〜〜〜〜?」とは言えないですよね。
末端でその仕事を選択する流れを作ってるのは、
僕たち消費者の選択であるのは間違い無いのですから。

さて、捌いた鰹は丁寧に骨抜きされ、湯がかれるのです(煮塾というらしい)。
大きさや脂の乗り具合によって、お湯の温度も時間も変わります。



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このまま下まで降ろして・・・・


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その間に、お昼ごは〜〜〜ん!!!!!



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いや本当に・・・何のお役にも立てずに申し訳ないのですが、
祐介さんのおばあちゃんと奥さんが作ってくれた鰹づくしのおもてなしに、
テンションの上昇を抑え切れません。さらに・・・・、



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卵かけご飯を直接下まで持っていくと、その上に祐介さん自ら削ってくれた鰹節がふわりふわり・・・。



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その様はまるで、仕事のできない男どもに、救いの鰹節を恵んでくださるイエス様のよう・・・。
逆に、仕事もできないくせにお椀を差し出し慈悲を乞う男どもの卑しき姿とも・・・。
削りたての薫香高く漂う鰹節と、濃厚な卵かけご飯、
醤油は当然「巽醤油」・・以外、使えない状況でもありましたが、なんとも贅沢な組み合わせ。
初めて食べる「腹側」の食感はとても面白く、「珍子」の串焼きは塩胡椒のみでシンプルに。
そよそよと吹く心地よい風と柔らかな陽射しが、眠気を誘います。
いっそ誘われちゃおうかと思ったくらいです。

あ、鰹の話をしてませんでしたので、この時間を使ってざっくり書いておきます。
例えば「最高級の鰹節を作るには」って考えると、
やはり厳選した新鮮な鰹を使って・・・思いませんか?
近海で獲れた腕利き漁師さんの一本釣りの鰹を使った・・・なんて、付加価値も上がりそう。
ですが、一概にそうでは無いんだそう。鮮度が良過ぎると、身が割れちゃったりするんですって。
「脂の乗った近海一本釣り」なんかは、そのままお刺身等で食べる用に流通します。
鰹節に使う鰹は、もっぱら遠洋巻き網漁が一般的で、
遠く赤道直下の国まで(キリバス等)漁に出るんだそう。
鰹はすぐに冷凍され枕崎へと持ち帰られます。
昔は漁に出る期間も長かったそうですが、今は海外の漁場の使用量が高騰し、
短期間でたくさん漁って来なければならなくなってるそう。
その金額は、1日100万円にも達するんですって・・・。
鰹漁を生業にする漁師さんも随分と減ってしまったそうです。



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その鰹を一晩流水解凍したものを、鰹節にしていくわけですが、
鰹を取り巻く環境も、鰹節を取り巻く環境も、大きく変わっている中で、
枕崎に140軒あった鰹節屋さんも、今は40軒に減ってしまってます。
これから更に減っていくことはあったとしても、増えることは現実的に難しいでしょう。
せめて、知ることで鰹節への意識を持ち、食べてみることで、その違いを感じていただきたい。
流されることなく真っ当な仕事を貫き次の世代に残していくには、
現場の努力だけではどうしようもない部分もあるのです。
引き継がれていくのは技術だけではなく、物作りの魂みたいものがあるように思います。
安く手軽に手に入るものが重宝され、物差しに偏りを感じる今の世の中。
その魂が、あっちでポツリ、こっちでポツリと消え続け、
そのうち世の中が魂のないもので溢れて来る未来は、想像に難くありません。
何を選び、何に価値を感じ、何に対価を払うのか、
その選択が僕らが未来へ何を繋げていきたいのかという、意思表示にもなるのです。
忘れてはいけないのは、未来は誰か任せではないってこと。
僕たち皆んなで創っていくもんだってこと。
選択の権利と責任は、今を生きる一人一人にあるのですから。


さぁ、お腹もいっぱいになったところで、
寝てしまわないうちに一緒に学びを続けましょう。


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長いお風呂から出て来た鰹は、今度はしっかり水分を落とし冷まして身を締めた後、
1階から順に3階まで移動しながら、じっくり燻されていきます(焙乾と言うそう)。
薪を組み、火を点けるのは、秘密基地感たっぷりの地下の部屋。



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地下は薪でぎっしり。そんなに使うんかなぁ・・・と、まだ悠長に構えてました。


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ダンボールに火をつけて、言われたように各自で組み上げた薪に着火します。



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まぁ、まだ呑気なもんですよ。公に木を燃やす行為自体が新鮮ですし。
当然、大事な工程であることはわかってますが、キャンプファイアーくらいの気分です。



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薪の組み方も適当ではダメで、詰めすぎても酸素が入らず消えてしまうし、
開けすぎても火が届かず燃え残ってしまったり・・・・



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とか言ってる間に、すぐ煙が立ち込めて来ます。



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このくらいで「あ・・・、これ、やばいやつや。」と直感します。
祐介さんからも、「低く、屈んで!」とリアルな指示が出始めます。
うっすら奥で愛媛の梶田さんが燻されてるのが見えます!!・・・扉、閉めましょう!!(笑)



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これ、点け始めだからこれくらいで済んでるんです。
やはり皆んな下手くそなので、しばらくすると消えてきちゃう場所もあるんです。
温度や煙の量のコントロールはとても重要な項目なので、
上から見て火元をチェックします。室温は温度計を、煙の量は煙突を見上げて。



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もう無理です。消えてる場所は当然再度着火しにいくわけですが、
部屋にすら入れない。さっきの点火なんてセレモニーみたいなもの。
以降、ガスマスク着けなきゃぶっ倒れます。こんなに涙出てくる!?ってくらい出てきます。
実際、早く燻しあげたいが為に火力を強めてるところは、ガスマスク着けるそうです。
でも、ここではゆっくりしっかり燻したいので、消えないように強すぎないように、
調節にかなり神経使うんだそう。そしてやはり危険なので、他の人にはやらせないんですって。
確かに・・・、あの煙はトラウマになりそうなくらい過酷な時間でした。
しかも、燻して冷まして燻して冷ましてを繰り返し、
更に、1階、2階、3階と、熱や煙との距離を変えながら仕上げていきます。
この工程だけでも、これだけのことしなきゃいけないんですね・・・。

燻し終えた鰹節は、削りの工程を経て、カビ付けされます。
それはまた後で触れるとして、今から菌付けされた鰹節を天日に晒します。



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役に立てないから、こういうシンプルな作業の時に張り切るやつ、いますよね・・・。



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娘さんの結菜ちゃんも手伝いたい盛り!
お父さんの役に立ちたい気持ちはよくわかるよ!!



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・・・と微笑ましく思いながら近寄ったら、
動き出して怖くなってガチで助けを求めてました(笑)


さて、外に出した鰹節を、均等に陽に当たるように並べます。


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今は、こんな感じ。カビ付けと天日干しを何度も繰り返し繰り返し、
本枯れ節になるには4ヶ月〜6ヶ月を要するんです。



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・・・とまぁ、本日はここまで。
まだ断片的ではありますが、皆さん、どうですか?
ここまででも、解凍、生切りから始まり、煮熟、骨抜き、焙乾と工程があり、
続いて、削り、修繕、カビ付け、日乾・・・・。
そもそもこんなに工程があるなんて思ってもみませんでした。
そしてその一つ一つがとても繊細で丁寧な作業を要します。
鰹という大きな魚を扱う仕事ですし、粉末や細かく削られたところばかりを見ていると、
もっとバーーッとやって、バーーーッと作られていくものかと思ってましたが、
ところがどっこいなんてもんじゃないですよね・・・。
想いを駆せたこともなかった、この枕崎という地で、
こうして日々実直な仕事を繰り返し、真摯に鰹と向き合ってる作り手がいること、
そしてその情熱に直接触れさせてもらえたことは、大きな経験となりました。
沈みゆく枕崎の夕陽に思わず手を合わせ、心の中でこう呟きました。
「また、いつか、あの卵かけご飯が食べれますように」・・・ってね。



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その夜、僕は夢を見ました。
今回のメンバーで食事をしてる夢です。
隣で喋りたいこと喋り終えて満足した梶田さんが寝ちゃってる夢です。
すると急に暗くなり、「ハッピーバースデー、トゥーユー!」の合唱と共に、
サプライズのバースデーケーキが!!
「いや本当・・・勘弁してくださいよ・・・、こういうの苦手なんですよね」と、
戸惑いながらも嬉しさを隠しきれず、思わずはにかむ可愛い僕。
おもむろに、ろうそくの火を消そうと顔を近づけると・・・、


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変わったケーキやなぁ・・・。
今日みたいな時間がない日に、きっと急いで頼みに行ってくれたんやろなぁ・・・。
急に言われても・・・って困ったケーキ屋さんが、
それでも祐介さんの頼みやからって、急いで作ってくれたんやろなぁ・・・。
土台は、まぁスポンジなんやろけど、上にかかってるのは何でっしゃろなぁ・・・。
ホワイトチョコを削ったコポーに炎が映って、鰹節みたいに薄紅色に浮き上がって見えとるわ・・・。



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って、普通に鰹節ご飯にロウソクぶっ刺しただけかーーーい!!(笑)
せめて土台は豆腐かと思ったわ!!人生初の誕生日おかか飯、あざっした!!!!
・・・・って、いやいや、きっと疲れてるんやわ。現実なわけないやん。
夢や、きっと夢に違いないわ・・・。めでたいもんやのに、あんまり誰も食べてくれんかったし・・・。
誕生日おめでとう、自分。明日も頑張れ、自分。おやすみ、あったかくして寝るんだよ、自分・・・。



あっさーーーーーー!!

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今日も快晴!!寝つきが悪くなるような夢を見たので、
今朝はDrスランプ的な出だしでテンション高めでスタートさせていただきました。

・・・と、本日は普通に出勤日。もう既に、天日干しまで並んでます。
昨日、僕らが体験させてもらった作業場の空気は、全く別物と化していました。



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もはやリアルタイムで記録映画を観ているかのよう・・・。


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並べるのも、こうしてしっかり真っ直ぐ並べないと、
煮上がった時に曲がって保形されてしまうんです。
鰹を並べるだけでもこの緊張感・・・。



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今日は、頭を落とす機械も使います。



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タイミングを合わせて鰹を渡す人、切る人、



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切られた鰹を流す人、それを捌いていく人、



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息のあった阿吽の呼吸で、黙々と、淡々と作業が進んでいきます。



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鰹が、自身の魂さえ委ねてしまってるかのよう。



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今、「ここで生み出されてる」ことが大事なのは、
実はうちの仕事も似ている部分がありまして。
うちも例えば「バゲット」という昔からあるトラディショネルなパンがあります。
それを、ただ昔になぞらえて作っていては、それは単なる過去のもの。
いわば、「古い」ものを作ってるに過ぎなくなってしまいます。
受け継がれてきたものを如何に解釈し、リスペクトしながらも創造すること。
つまり、トラディショネルを今ここで創り出せてるかが重要で。
過去や伝統におんぶに抱っこしてるだけでは、それは敬意ではなく依存だと感じます。
そしてその時点で系譜は途切れます。未来へ繋ぐには、今を加える覚悟と勇気が要るんです。
金七商店さんのお仕事も、しっかり繋がれてきたことを土台にして、
祐介さんという「今」が、しっかり加わってます。単なる「跡取り」などという話ではありません。
加えなきゃいけないのは単に「人」ではなく「思想」なんです。
ちゃんと正しい思想を持った人が加わらなければ意味がないんです。
おそらく周りの鰹節屋さんにも跡取りさんはいらっしゃるでしょう。
では果たして、そのうち何軒の鰹節屋さんが「今」で居れてるでしょうか。
もしかしたら、もっと早くに「古く」なってしまったお店さんもあるかもしれません。
その時点で伝統は、繋ぐものから縋るものへと退化してしまう、そんな気がするんです。

いろんなタイプの人がいていいとは思いますし、何が正解かは自分が選ぶものだと思いますが、
僕は単純に、昔のヒット曲ばかりお願いされるバンドにはなりたくないなぁって思うんです。
常に、今でありたい。というより、店を営んでいる以上、今であらなきゃと思ってます。
それは何か新しいことしてなきゃとかではなくて。
逆に何か新しいことしたから今でいれるわけでもなくて。
13年前に入ってきた子には新しいお店で、今入ってきた子にとっては13年前にオープンしたお店。
そんな店にはしたくないなと常に思ってやってきました。
今でいられなくなった時は、求められなくなった時だと思ってます。
その時は、シュクレクールが終わる時。潔く居なくなろうと思ってます。

さて、僕が喋ると鰹節関係なくなっちゃうんで、ぐいっと元に戻しますね。
実は、先ほどの作業で一旦手を止めまして、この間おやつ休憩だったんです。
いや、本当に、10時で一旦おやつなのです。


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何もしてないのにいただくおやつもまた、なかなかにバツが悪い(笑)
ムチムチモチモチした食感のこのお餅、昔は祐介さんのお母さんも作られてたようです。
「この食感、何が入ってるんですか?」と聞いてみると、「いも!」。
「芋・・・は、何の・・・」、「芋ですよ」。
なるほど・・・、鹿児島では芋といえば「さつまいも」なんですね。
さつまいもが練りこまれてほんのり甘みがあるムチムチモチモチの生地に、
きな粉がまぶされていて、更に餡子がドンと鎮座してまして・・・。
なかなかの甘差で、これまたなかなかのデカさ・・・。
たった一つで、朝飯食って来なくて良かったクラスのボリュームです。
その横で何かに驚いてる祐介さんがいました。「え!?みなさん、食べたことないんですか!?」
いやいやいや!これ、そんなに日本列島でポピュラーなおやつじゃないですから!!(笑)

さて、ここまでで鰹節のイメージは変わってきましたか?
僕の喋りが邪魔で入ってきませんか?ああそうですか。
整理しないと分かりにくいこともあるので、後でちゃんと纏めますのでご安心を。



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焙乾してた建物に移動して、地下には行ったので上に行ってみましょうね。
鰹はエレベーターで、人は階段で上ります。



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えっと・・・もはや2階だったか3階だったか見分けがつかないのですが・・・。
燻された鰹節たちが、次の工程に進むのを待っています。
また燻されるやつもいたり、階を移動するやつもいたり、削られちゃう子もいたり。
じゃ、その削られちゃう子のとこ行ってみましょう。



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思ったより削られます。想像の3倍は削られてます。
そもそも、なんか整えたりするのに削るんだと思ってましたが、
焙乾によって周りに着いた煤を綺麗に削り取るので、
一本削りきるのにそれなりに時間がかかります。
当然、これを一本一本やってられないので、削り業者さんもいるそうです。
この作業、削ってる時に割れたり折れたりしたら全部の工程も時間も台無しなので、
ちゃんと金七さんのことを理解してくれてる業者さんに頼んでるんだそう。
それでもやはりリスクの高いところは攻め切れないので、
仕上げの削りは祐介さんとお父さんが自分たちで担当するそうです。

あ、実はここまでの間にもう一つ工程がありまして、
それは「修繕」と言って、骨抜きなどで損傷しちゃった部分を、
鰹節に仕上げていく途中で身割れしたりしなよう、整える作業なんです。
修繕では、鰹の煮塾肉をミンチ状にしたものを塗ったりするんだそう。
そういえば本枯れ節に骨の跡とか身溢れした形跡とかないですもんね。
綺麗なフォルムにするために、こうした作業が施されていたんですね。
知れば知るほど、知らなかったことばかりだと気付かされます・・・。


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えっと、怪しいライブハウスではありません。
この部屋で、削られた鰹節にカビ付をしていきます。
中は、高温多湿。菌が付きやすく繁殖しやすい環境ですが、
同時に虫が湧きやすく、とても神経を使う部屋なんです。
良質な菌が付きやすいよう、繁殖しやすいよう、
空気の波動を整えたり良い波動を送ったりするために、
ここの鰹節にはクラシックが聴かされるんです。正確には、菌にですけど。
よくお酒に聴かせたり、野菜に聴かせてたりっていうニュースがありますよね。
あれ、さすがにちゃんと効果が実証されてるデータがあっての話なんですよ。
「お酒もクラシック聴いたら気持ち良いんちゃうかなぁ思って」みたいな話ではありません。
いろんな酵母によって、向いてる作曲家まであるらしいんです。
そのデータが、「もっと良くしたい。もっと良いことをしてあげれないだろうか」と、
常に模索していた祐介さんの目に留まったわけです。
が、やはり半信半疑な部分があったり、高温多湿な環境のためスピーカーが壊れたりとかで、
やったり辞めたりみたいな時期もあったそう。
でも周りが「やるならちゃんとやってみよう」とサポートしてくれた結果、
実際に菌の乗りも安定し良くなったそうで、
金七商店さんの「クラシック節」という商品へと繋がったんですね。



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カビ付けには鰹節菌と呼ばれる麹カビの1種を使用します。
一番カビ、二番カビと、何回もカビ付をしていくんです。
そしてカビを付けては天日干しを繰り返しを繰り返していきます。
そしてもちろんクラシックも聴いてます。



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初めは青みがかってたカビも、二番カビ、三番カビと付けていくうちに枯れてきて、
僕らが目にするような茶褐色の鰹節へと変わってくるそうです。



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そして三回以上カビ付したものを、「本枯れ節」と言うのだそうです。



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ここまでに要する4ヶ月から6ヶ月の期間。
全ての工程に手を抜くところがなく、全ての工程に良い鰹節を作るために必要な意味があります。
ただ、その所々で意図して手を抜いてしまった方が生産量が上がったり、
そこまでやらなくてもってところで留めておけば、もっと楽に商売することが出来るんです。
今の時代、「売れたもん勝ち」の風潮が強いのは、
やはり消費者の無知・・・というより無責任さにもあると感じます。
自分が摂るものでしか、自分の身体は作られません。
それ以外のもので勝手に身体が作られることはないのです。
何を選ぶのかは自由です。ただ、意思を持って選んでいただきたい。
値段が張るものを、今、身の回りにあるものと単純比較して「高い」と切り捨てるのは、
安いものに潜む「安い理由」からも目を背けてることにもなりませんか?
どうも日本人は、良いことを応援するより、
嫌なことに巻き込まれたくないという傾向が強いように感じます。
だからってわけではないでしょうけど、
他人のゴシップとか大好きで、関係ないのに一斉に叩きますが、
同じ日本人が何か快挙を達成しても、よっぽどメジャーなことでもない限り知らん顔。
どちらも自分たちには関係のないことに変わりないのに、この温度差。
食品にしてもそうですが、当然あってはならないレベルのことは論外として、
「いやいやいや、全然気にしてなかったくせに!」みたいなことですら、
ニュースになると過剰に反応し断固拒絶する傾向がありますよね。
ダメなものを恐れるリスクヘッジも当然大切なことですが、
良いものを知ることも同じくリスクを避ける手段として存在してるんじゃないでしょうか。
食に興味があっても、健康に興味があっても、もしくはどちらも無くても生きていく以上、
その選択の目や意識は、過敏になる必要はなくとも、あるに越したことはないと思います。
それらを見極める力がもし消費者の皆さん(当然僕らも含みます)にもあったなら、
もっと今でも残ってた仕事もあったんだろうし、
逆に広まってなかった商品もあったんだろうなぁって思うんです。


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結局そういう部分は、どの職業とっても同じこと。
何が正しいわけでも間違ってるわけでもありません。
ただ、結果は選びたくても選べませんが、プロセスは自分たちで選べるんです。
たまたま良い結果が出たり悪い結果が出たりってことはあっても、
たまたま真摯に素材と向き合い、たまたま最良のものを生み出すために苦心するなんてことは、
可能性としては極めて低いこと。やはり意図して、狙って挑むからこそ選ぶ道なのです。
売れるからやってるわけでも、売れないから止めちゃうわけでもなく、
その源は自身のアイデンティティであって、その姿は自身の生き様そのものなのです。
だから僕は、そこがある人に逢いたいし、話がしてみたい。
人を、物を測るのに、やはり見ておかなければいけない大事な部分だと思うんです。
僕は座右の銘みたいな立派なものを持ってるわけではありませんが、
過程も結果も求めなきゃいけない立場上、両方を含んだこういう言葉を自分に課してます。
「人事を尽くしまくってから、天命を待て」です。
人事を尽くしまくってもいねえのに、一丁前に天命待ってんじゃねえぞコラってことです(笑)
やれることの全てをやったつもりでも、結果が必ず伴うわけではありませんが、
やれることの全てをやらなかった段階で、結果を望む資格すら無くなるんじゃないでしょうか。


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そんな祐介さんも、すんなりお父さんの後を継ごうと思ったわけではなく、
例に漏れず別の仕事を志したことがあるそうです。
映像の仕事がやりたくて、人に喜んでもらえる仕事がしたくて、福岡にいた時のこと。
ある日、実家から送られてきた鰹節を周りに配ったところ、
祐介さんの目の前に、「おいしい!」、「おいしいね!!」と、人が喜ぶ光景が広がったんです。
その時に気づいたんだそう、自分たちの鰹節にも、人を喜ばせる力があるんだってことに。
そこからずっと祐介さんは、鰹節で人を喜ばせることが出来る、幸せにすることが出来ると信じてます。
仕上がった本枯れ節を割った時の色は、そんな祐介さんの鰹節に向けたピュアな想いが映ったかのような、
何の淀みもなくどこまでも透き通っていて、尚且つ吸い寄せられるような深みのある美しい色でした。
人が仕事に映り、その仕事が物に宿る。まさにそんなことを体感した、鰹節体験でした。 (おしまい)








おまけ

結局、僕も最後までよくわかってなかったので後で整理したんですが、
僕らが目にする鰹節って、一体どんなものなんだろうって思いません?

表示にも違いがあって、「かつお節削りぶし」、「かつおかれぶし削りぶし」、
などと表示されてるものは、「カビ付け作業した鰹節」で、
「鰹節削り節」は、「カビ付を繰り返した鰹節を削ったもの」(枯節・本枯節)なんだそう。

「かつお削りぶし」、「花かつお」などと表記されてるものは荒節です。
「鰹削り節」も、荒節を削ったもの。・・・・かなりややこしいですね。
ちなみに荒節とは、カビ付する前の燻した状態までで使用した鰹節のことを指します。
スーパーなどで小売されている鰹削り節の80%以上が、荒節を使用してるそうです。
理由は、製造日数が長くて20日前後と早いため、量産ができるから。

どっちが良い悪いではなく違いをざっくり書きますと、
荒節は燻しまでの工程のため燻香が強めに残り、
乾燥度が本枯れ節に比べ低いため魚っぽさが少し残るそう。
コクは少ないけど、そのぶん安いんですね。
本枯れ節は、製造日数に圧倒的差があり、
天日干しやカビの作用によって乾燥と熟成が進むため、
味に丸みとコクが生まれ、本物の「鰹節」をいただくことができます。
当然、荒節より高価になります。
違いを知り、用途によって使い分けるのがベストですが、
なかなかご家庭でそこまで使い分けたりしませんよね。
だからと言って、ここに書いてあるのを元に、
ごそごそ表記を見ながらスーパーでお買い物するのも困ったもの。
そんな奥様に朗報です!!!


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6月10日(土)のGREEN MARKETの日から、
シュクレクール北新地で、あの金七商店さんの「クラシック節」の店頭販売がスタートします!!
「えー!?」、「これで迷わずに済むわ!!」、「鰹節難民だったの!!」などの、
嬉しい声が続々と寄せらております!!ありがとうございます!!巽醤油も宜しくお願いします!!
そしていつか、祐介さんがMARKETで鰹節を削りに来てくれると約束してくれました。
体験に勝るものはありませんし、できればこんなパン屋の安い受け売りなんかより、
直接作り手の声を聞いてもらいたい。そんな僕らの気持ちに応えてくださるそうです。
そんないつかを楽しみに、今日は、この辺でお別れとしましょう。
長い文を読んでくださりありがとうございました。またいつか忘れた頃に書きますねー。





# by monsieur-enfant | 2017-06-07 17:11 | 鹿児島枕崎 金七商店

北新地へ移転してから半年余りが過ぎ、ようやく周りが見えるようになってきました。
もう身も心も壊れてしまうんじゃないかと思ったオープンからの3ヶ月を経て、
なんとか年末まで乗り切り、ふと振り返ると驚くほどの問題点が山積みに。   

あぐらをかいてたつもりなど毛頭ありませんし、
自分の中では明確に分けてたはずだった「岸部と北新地」。
でも、心のどこかで「岸部でやってきたこと」を引きずってたんでしょうね。
情けないことに、反省の多い半年間となってしまいました。

ただ、それによって大きな気づきも生まれました。
より良くなっていくためにしなきゃいけないことも明確になり、
課題を克服することによって変化していける確信も見えました。
今年の半年間は、これからの北新地を大きく左右するほどの大事な半年間、
それくらいの気持ちで僕らは今年をスタートさせています。

その一環として見直すことになったHP。
北新地ではどうすべきか検証してきた「パンの予約」も、
サイトからの予約という形でようやく開始することが出来ました。
始めはオペレーション含め、ご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、
問題点は迅速に改良していきますので、
どうか温かな目で見守っていただけると嬉しいです。

パンの写真も北新地で撮り直し、
文章の書き換えなどの見直しもしてる最中、
「あれ・・・?」と見つけたのが、このブログです。
岸部閉店最終日の、画像だけが貼り付けられてあったんです。
公開されてないので僕にしか見えてなかったんですが、
ログインしっぱなしだったおかげで気づくことができました。

しばらく見てなかったブログですが、
久々に読み返すと懐かしいものですね・・・。
全然書いてないと思ってましたが、
閉店直前には少し書いてたりしてました。
モンテベロの最後のサヨナライベントの記事で終わってますが、
さすがにこれではキリが悪いなと。

FBやインスタのように手軽な発信手段がある昨今、
時間も労力もかかるブログに僕が戻ることはないと思いますが、
せっかく貼り付けられた画像があることですし、
ゆっくり振り返りながら記してみたいと思います。
ブログを楽しみにしてくださってた世代の皆さん、
一緒にこの場を懐かしみながら、振り返ってみましょう。

では、始めましょうか。
季節は、春です。

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2016年、3月31日。木曜日だったんですね。
「最終日まであと何日」ばかりで、曜日など覚えてなかったです。
この日は、僕の人生の中でも忘れられない大きな区切りとなった日。
2004年4月に開店した、シュクレクールの岸部での営業を終える日でした。

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さすがに最終日ともなると少しは実感はありましたが、
寂しさを感じる余裕などはなく、
朝からいつものように、開店に向けて必死でパンを焼くのみ。
感傷になど浸ってるより、この場で焼く最後のパンをきっちり届けたい、
そんな想いの方が強かった気がします。

小さな店ですが、みんなで手分けしながら開店に向かって準備します。

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この日は開店時間を始めから遅らせてたんでした。
いつもは8時からでしたが、10時開店にして、
ちゃんと準備した状態でお迎えしたい、そんな気持ちだったと思います。

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もちろん隣のモンテベロも、この日を共に迎えます。
のちにシュクレは岸部を再開しましたが、
モンテベロの閉店は決まっていました。
本当に最後の1日のために、精一杯の準備をしてくれたんだと思います。

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これは何時の画像かな・・・?
かなり早い時間に「もう並ばれてるお客さんがいます!」と聞いた覚えが。
その頃からかな・・・、少し実感が湧いてきたのは。
「この日のために足を運んでくれてるんだ・・・」と思うと、
やはりグッと込み上げてくるものがありました。


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店内も、どんどん焼きあがってくるパンたちを並べるのに必死です。
いつもと同じ作業、いつもと同じ景色なのに、
やはりいつもとは違う日だということを、
みんなで実感しながら過ごしてました。

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オープンの時間が近づいてくるにつれ、
なんとも言えない緊張感と共に、
昨日までとは全く違う感情が込み上げてきます。
開けなきゃいけないのに、開けたくないんです。
明日からはもう開かないシャッターです。
今日開けちゃうと、今日が始まってしまいます。
それは当然ながら1日違いの昨日までは思わなかったこと。
今日が始まれば、今日が終わってしまう。
来る日も来る日も開けてた12年の営業が、
それが当然だと思ってた日々の繰り返しが、
この日を最後に幕を下ろしてしまうんです。


振り返り・・・ながら全速力で走ってる感じ。_c0116714_12354739.jpg

気の利いたことも言えなかったなぁ・・・。
テレビの密着も入ってたプレッシャーもあったかなぁ・・・(笑)
いよいよ開店時間が近づき、みんなを集めての一言。
そして、最後の記念にみんなで一枚。
もういない子もいますけどね(笑)


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僕らは店内に戻り、最後の準備を続けます。
その間に並んで待っていただいてた皆さん。
最後の開店を待ちわびてくれてるその胸に、
うちの店は何か残せてるのかな・・・?


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オープン直前には、本当に長蛇の列となりました。
先にも書きましたが、この日は平日の木曜日。
正直、こんなに並んでいただけるとは思いもしなかったです。
評価をいただこうが知名度が上がろうが、
店に足を運んでいただくことほど、明確なメッセージはありません。
近隣のお店や住人の方々には、度々ご迷惑もおかけしましたが、
それもこれも、この日が最後。
岸部という地で、この日を超える行列を見ることはもうないでしょう。

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モンテベロも、準備が進みます。
隣でしっかりシュクレを支えてくれた戦友です。

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ショーケースにも並び始めました。
本当に、「いよいよ・・」のなんとも言えない緊張感が高まってきました。

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シュクレ号は・・・何してたんだっけな・・・。
この日も配送あったっけな・・・。
ただ風を通して日向ぼっこしてるだけだったかな・・・。
働いてたらごめんなさいね。

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さ、うちもショーケースにパンが並びました。
いつものように、しっかりパンを焼き、
いつも以上に、しっかり準備も整いました。
あとは、シャッターを開け、お客さんを迎え入れるだけです。
そう、いつも繰り返してきたこと。
いつもいつも繰り返してきたことです。


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「オープンします!」の掛け声と共に、
シャッターを開け、お客さんを招き入れます。
長い時間待っていただいたお客さんも、
嫌な顔一つせず、この瞬間を待ってくれてました。
そして口々に「ありがとう!」と言ってくれたこと、
本当に一生忘れません。
今も書きながら思い出しても泣けてきます・・・・。

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モンテベロにも、お客さんがたくさん来てくれてます。
シュクレに来たり、モンテベロに行ったり、
かなり長い時間を岸部で過ごしてくださった方も多かったようです。


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北新地では、まだあまり見れてない光景。
やはり生活圏ならではの良さの一つですね。
お母さんに手を引かれたお子さんの姿、
自転車の前後に乗せられながら来るお子さんの姿、
一目散にショーケースに駆け寄って来るお子さんの姿・・・。
受け入れられるか不安だった自分のパンを、
小さいお子さんが食べてくれてるのは、
大きな自信になりましたし、支えでもありました。


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モンテベロの店内も、もはや懐かしい・・・。
人がいてくれて、店なんですよね。
箱だけじゃ意味ないんです。
良い商品作ってたって、届かなければそこまでのもの。
全ては想いを届けるツールに過ぎないのです。
モンテベロはお菓子を、シュクレはパンを、
その手段を通じて何を届けれるのか・・・。
何を受け取っていただけたかわかりませんが、
何か受け取ってくださってたら嬉しいな・・・と願う、
最終日の景色となりました。


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正直、そこそこ岸辺駅で降りる人の数には貢献したと思うんですよね。
だって、住んでる人か通学にしか降りない駅でしたから。
なんかそういう店や会社に、市からとか何かあったら良いのになって(笑)。
ガキの頃から吹田に住んでた吹田市民が、
地元の吹田に店を出すって言っても何のメリットもないですし、
何年続けたからと言って何もない。
じゃあ、他所から来た人が店を出すのと変わらないし、
2年も持たずに閉店してしまった店とも変わらない。
「あぁ、地元でやって良かったなぁ」って体感できることが増えると、
地元に戻ってやりたいって人も増えると思うんですけどねぇ・・・・。
飲食に限らず、開業場所の選択肢なんて山ほどあるんです。
オープン前の不安に駆られる時期に、
きっかけがあるのとないのとでは、
えらい違いなんですよね。
些細なことだと思うんですけどね。
市民税もずーーーーーっと払ってるわけですしね。
育った街への愛着がない人なんていないでしょうしね。
何回か直談判したんですけどね(あ、後進のために、です)。
茨木は確か茨木市民だとなんちゃらかんちゃらあった気がするんすよね。
高槻はジャズフェスやったり茨木もなんか考えてたり、
吹田は吹田祭りくらいしかねえしな・・・って、
愚痴になって来たのでやめときます(笑)

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愚痴ってる間にパンがなくなるとマズいので、
この日は頑張って追っかけます。
最終日と知って足を運んでくださった方々に、
ちゃんと僕らのパンと一緒に帰宅してもらえますように・・・。


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姿を見ただけで、お互い一気に涙腺が崩壊しました(笑)
フランスから先に帰国し開店したのは僕でした。
パリの店の屋根裏部屋で、
ソファーベッドに2人で寝転び熱く語った夜(仕事の話じゃなかった気が・・)、
後から帰国する米田シェフに、
「言ってたことと、やってること違うやん!」って思われたくなかった。
そんなやつ普通にいっぱいいますが、その「いっぱい」側には立ちたくなかった。
語らずとも全ての時間と想いを一瞬で共有できる友であり、
きっとある部分では身内やそれ以上の存在でもある米田シェフに、
「一先ず、おつかれさま」と労ってもらえたことは、
踏み外すことなく、ちゃんとやってこれたのかな・・・と素直に思えました。


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よく、「ようこんなとこで、こんな店やってんなぁ・・・」と、
関心されたり呆れられたり、
東京に支店を出したパリのパン屋のシェフが訪ねて来て、
「マジで!?日本でこんな店やってんの!?」って驚かれたり、
特異な店という印象は欲しいままにして来たシュクレクールですが、
そんな僕が「こんな店、日本でやっていけんの!?」と驚愕したのが、
六甲道が本店だった頃、
初めて「メツゲライ クスダ」に伺った時の印象でした。


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共通項は多いんです。でも、僕なんて腐ってもパン屋です。
まだ馴染みがないわけじゃない。
それが、シャルキュトリーを、何か普通の店をやるみたく、
普通の場所に普通にオープンされてて、
覗いてみたらド本気のド直球ぶりに圧倒された鮮烈な記憶があります。
僕より何十倍も大変やったと思います。
それでも、「大変やったよね、ご苦労様でした」と、
差し入れを持って来てくださる楠田ご夫妻に、
顔を見合わせて「うん、うん、うん・・・」って頷くことしか出来ませんでした。
あれこれ言わなくたって、ちゃんと汲み取ってくださる方との出逢いは、
こういう店を貫き通したからこそ神様がくださった、宝物なんだと思います。


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ずっと皆さんを迎えてくれた、
誰が呼び始めたのか「シュクレくん」。
実は真っ白だった傘立てを、「塗ってもらえんちゃう?」と軽く頼んだのが、
「板金塗装は樋谷自動車!」でお馴染みの樋谷さん。
いつもどんな時も、ずっと応援してくださってるお二人も、
節目のこの日に駆けつけてくれました。
シュクレくんを北新地に連れていかないことは、
「岸部を必ず再開しますんで」とのことで納得していただけました(笑)


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以前、働いてくれてた子たちも、
わざわざ名残を惜しみに駆けつけてくれました。
1人1人の顔を見ると、それぞれの時期をちゃんと思い出せます。
良いスタッフにも巡り会えた、良い店だったなぁ・・・と思います。

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変なストーカーが広島からわざわざ来たアピールをしてきたので、
セコムに来てもらう準備だけはしておきました。


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異業種ですので、直属で僕の下で働いたわけではありませんが、
橋本(現・アシッドラシーヌ)と過ごした時間は、
言葉では言い尽くせないほどの濃度と熱さだったと思います。
彼が築いた礎を、必死に繋いで繋いで、今のモンテベロがあります。
・・・置いてかれた負の遺産もなかなかのもんでしたけど(笑)


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いつも周年の度に、色紙に一句書いて贈ってくださる小林太一さん。
80歳と○年の、おそらくご来店いただいてる中では最年長のお客さん。
色紙をくださる度に「来年はないかもな」と笑って仰られますが、
いつもご自身で店までパンを取りに来てくださり、
とても楽しい話をしていってくれます。マジでためになる話です。
当時の恋バナもありましたね(笑)
この日も涙を堪えながら、小さな弁天さんをプレゼントしてくださり、
「ワシやと思って置いといて。ずっと見守ってるから。」、
そう言って固い握手を交わしました。
「生きる糧」、そううちのパンを言ってくださった言葉は、
こちらこそ、僕がパン職人として生きる大きな糧となっています。

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日も暮れて、明かりが灯理、また違う顔を見せ始める両店。
これも、もちろんいつものこと。
朝が来て、昼が来て、夜が来て。
そして普通に来ると思ってた明日があって。

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夜になっても、お客さんはたくさん来て下さいました。
パンが無くなっても閉店時間までは開けてようと思っていましたし、
パンが無くなっててもいいから、
最後に駆けつけたいと思ってくれる人たちがいてくださいましたし。

投げてばかりいたって、受け取る人がいなければ成立しないんです。
確かに皆んなが皆んな、正しく受け取ってくれるわけではないけれど、
だからこそ来る日も来る日も同じ球を投げ続けて来たわけです。
「店と客」の単純な図式では見れなかった景色が、
それ以上の関係性が築けてからこそ見れた景色が、
ここから広がっていくわけです。

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閉店時間はとっくに超えてました。
それでもお客さんは後を絶ちません。
僕らにも物語があるように、
ここに通ってくださった皆さんにも、
それぞれシュクレクールを絡めた物語があるんですね。
つくづく、この店はすごいな・・・って思いました。
そして、「え?どんだけ作ってんの?」ってくらい、
焼いても焼いても、まだ焼くパンが残ってるんです。
神様がイタズラして、無くなってるのに勝手に追加してるかのようでした。
本当は夕方には焼き切って、
表に出て皆さんとお話しする予定だったんです。
が、幸せなことに、パンを1日焼き続けて終えることができました。
こんなにこんなにパンを焼かせてもらえるようになったこと、
それが12年の軌跡の全てだったような気がします。


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そして本来19時に閉店のところ、この日の閉店は21時となりました。
お客さんが来てくださらなければ、今日の営業は19時で終わっています。
それを思うと、なんだか不思議な時間でした。
延長させていただいたこの2時間は、
紛れもなく、お客さんによってシュクレクールでいさせてもらえた時間なんです。
終わってたはずの時間を、アンコールでまた舞台に立たせてもらったような、
とんでもなく有難い、本当に本当にご褒美のような時間でした。
焼き上げるたびに自然と涙が溢れて来るこの2時間は、
柄にもなく「感謝の気持ち」で満たされた時間でした。

始まりには終わりはつきもので、
当然決めた時には覚悟してた瞬間ではありましたが、
岸部での最後の挨拶で感極まる、
モンテべロ吉田の言葉を聞きながら、

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自分の手で大きな木の扉を閉めるまでの時間が、
とても長く、とても重く感じました。
ささやかな、たかが数年の小さな歴史でしたが、
ここに刻まれた、この店に叩きつけられた想いの数々は、
閉じた扉の中に仕舞われることなく、
この店に携わった全ての人の中で生き続けてくれることでしょう。

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そして何より・・・・、
閉店時間を迎え、
店を閉めるために外に出てきて初めて気づきましたが、


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この時間まで残ってくださってたお客さんは店内だけでなく、
外にもたくさんの方々が残ってくださってたんですね・・・。


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この日は、岸部閉店から北新地開店までを追いかけてくださった、
「LIFE」という番組のカメラや照明があったわけですが、
僕が店内から外に出た時に、
ちょうどその照明に照らされて、
暗闇の中にたくさんのお客さんの待つ姿が浮かび上がって見えたんです。


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いやもうね・・・・、
その光景と言ったら言葉にならなかったですよ・・・。
本当に、本当に大変でしたけど、
「大変」なんて薄っぺらいくらい魂が擦り減るような日々でしたけど・・・、
この店は、最後の最後に、
僕にこんな素敵な贈り物を用意してくれてたんですね・・・。


そして本当の最後は、
どう足掻いたって僕1人では出来なかった店です。
その店に見守られながら、ここで共に時間を過ごしてくれたスタッフたちに、

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一人一人、握手をしたりハグしたり・・・、
この時ばかりは日頃の恨み辛みなどは一旦忘れてですね(笑)、
心からの感謝を伝えさせてもらいました。


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全てのスタッフを店内に送り入れ、
これにて、12年続けさせていただいた営業に、
一旦、幕を降ろさせていただきます。


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うちのシャッター、開け閉めする時、すごい軋むんですよね・・・。
その音が、なんだか哀しくて哀しくて。
「この場所から放った想いが、地元にしか届かないではダメだ!
失速させることなくそのまま全国に届くくらいじゃないと!!」
岸部という街から本気でそんなこと思うような、
そんな無茶な主人と出会ったおかげで、
この店は声が張り裂けんばかりに叫んでくれたんだと思います。
誰も聞いてくれない頃から、今日までずっと。

そろそろ、ちょっと疲れて来た頃だと思うんです。
いろいろ、キャパオーバーになっちゃったもんね。

ありがとう。
ご苦労さま。
ちょっと休もうね。


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誰も知らない小僧が、急にこんな地で始めた「BOULANGERIE」。
「明太フランスないの?」「クリームパンは?」
「こんなん硬くて食えるかいな。柔らかいパンないの?」
そんな人がほぼほぼを占めてた開店当初。
今では、うちにあるパンを当然のように求めて入って来てくれます。
誰も、驚かなくなりました。誰も、戸惑わなくなりました。
それだけで、十分嬉しかったんです。
十分、やって来て良かったって思わせてもらいました。

それなのに、たくさんの人が店が閉まる最後まで残ってくれました。
僕は誰に頼まれたわけでもなく、
勝手にこんな店をやったわけなんですが、
最後の最後、こんな小さな店の店主に、
挨拶の機会を用意してくださった皆さんを前にした時、
「報われた〜〜〜〜〜!!!!」って言葉が、
涙と共に心の底から湧き上がって来たんです。

開店当初、本当にヤバかったです。
自分のパンを必要としてくれるマーケットが存在しないんです。
でもそれは、当然想定内ではありました。
想像以上に受け入れられなかっただけです(笑)
「10年かけて育てよう。店も、スタッフも、お客さんも。
今見れない景色を、10年後には見れるように。
今からお客さんと一緒に、そんな店になっていこう。
そしてその景色を、10年歩んでくれた皆んなで眺めよう。」
そう思い直して歩き始めた道のりでした。
っていうか、そう思わないと歩き出せないくらい現実に挫けました。

ただ、こんなに素敵な景色を見せてもらえるなんて、
思いもしませんでした。
小童が思い描いた空想を遥かに凌ぐような素敵な景色を、
僕はお客さんに用意してもらえたんです。
こんな幸せな職人、いますか?
こんな幸せな店、ありますか?
この景色を見させてもらった瞬間に思ったんです。
「僕がこの地に捧げて来た時間と労力、その全てが報われた・・・」って。

大したことないですよ。何をしたわけでもないですよ。
ただ、本当に全身全霊かけてやって来た自負はあります。
たくさんの人に迷惑もかけました。たっくさん迷惑をかけました。
下手くそ経営者ゆえ、失敗もしまくりました。
店の存続すら危ぶまれるような事態もありました。
でも、その全てに意味があったと思いますし、
その全てが僕にとっての学びでした。
当たり前ですが、パンを作るだけじゃダメなんです。
店を回さないといけない。人に手伝ってもらわないといけない。
売り上げあげなきゃいけないし、
存続のために利益も残さなきゃいけない(←これ超下手クソなやつ・・)。
頭の悪い僕なんかじゃ本気で無理だと思いました。
そこで救われた一言がありました。
「経営学は、統計である。経営は、実践である。」
経営が実践であるならば、そこには逃げずに取り組んでる。
じゃあ、10年かけてパンを学んで店を開いたように、
店を開いて10年かけて、実践の中から学ばせてもらおう。

シュクレクールは、友であり、先生でもありました。
僕はこの店でたくさんのことに気づき、たくさんのことを学びました。
1人だった僕ですが、今ではたくさんの人たちに囲まれています。


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そんな学び舎を、無くすことなんて僕にはできません。
ただ、今までと同じやり方で営業することは難しい。
その手段がちゃんと決まらない限り、
易々と「再開します」とも言えなかったんです。

予想通り、好き勝手言われましたね。
「岸部捨てるんや」とか、
「やっぱり移転した」とか、
一言も想いを交わしたことのない人たちの何の責任も伴わない言葉には、
「お前らに何がわかるんじゃ、こら!
一番この地にこの店に思い入れがあるのは、
誰より俺に決まっとるやろが!!
再開した暁には、詫びの一つでも入れんのやろな!?」
な〜〜〜〜んてことは、学び舎で学んだおかげで言わないのでした。


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今は、北新地の巨大オーブンに体力を削り取られてる日々ですが、
たまに帰るとやはりホッとします。
役割だけでなく想いも預けれる仲間がいてくれるおかげで、
岸部も四ツ橋も再開させることが出来ました。

お店はね、「勝手に作った」じゃないんですよ。
そこには通ってくれたお客さんの想いもあります。
岸部も、四ツ橋も、歳月の長さじゃないんです。
開けた責任は、僕らがちゃんと担わないと。
僕らだけの店でも、僕らだけの場所でもないんですよね。
そんなことも、お客さんから教えていただいたことです。
なのに、勝手に閉めれるわけないじゃないですか。
あんな地下の店ですけど、それなりに本気で考えたんですから(笑)


ありがたいことに、
岸部も四ツ橋も、それぞれの場所のお客さんが帰ってきてくれました。
叶わなかったですが、
無理矢理でも行きたかった岸部の再開の日、
オープンと同時にかけてもらえた言葉は、
「おかえりさない!!」だったそうです。


つくづく、幸せな店やなぁ・・・って、心からそう思います。

ありがとう。
そして、ありがとうございます。
月並みですが、これからもよろしくお願いします。


久々のブログ更新でした。つかれた。


# by monsieur-enfant | 2017-02-14 23:17 | シュクレクール

最終営業日を前にして。

先日の23日(水)、モンテベロにて、
初代シェフの橋本(現アシッドラシー何とか)を中心に、
現スタッフとのコラボイベントが行われました。
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本来、定休日にも関わらず、
オープン前からたくさんの方に並んでいただき、
橋本の仕事遅れで開店時間が30分遅れたにも関わらず、
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穏やかに待っていただけたこと、感謝しております。
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東京からも、中村樹理子(TIRPSE)、大谷理恵(L'Effervescence)の、
元モンテベロ組がコラボ焼き菓子を提供してくれたり、
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なんやかんやと賑やかな1日となりました。

シュクレの3年目にオープンしたモンテベロ。
東京でやれてるフランス菓子が、なんで大阪で出来ないのか、
Pâtisserieなんて名ばかりで洋菓子の店ばっかりじゃねえか、
結局のところ、出来ないんじゃなくて、やらないだけなんじゃないかという、
パン屋からの菓子屋に対する当てつけみたいな形でオープンしたわけですが、
(「パン屋と違う角度でフランスを表現する手段として」も、20%くらい入ってます)
思い返せばオープン初日でほぼ全商品を入れ替えるという、
なかなか情けないスタートを切ったモンテベロ。
そこからシェフとスタッフの成長と共に店も成長し、
またそのシェフ交代を機にゼロからのスタートに戻り、
またシェフとスタッフを育て活かしながら・・・を繰り返し、
シュクレでは味わうことのなかった難題を有り難くいただきまくり、
僕自身も、ある時は苦虫を噛み潰すような日々に精神がいかれかけながらも、
「モンテベロ、やらなきゃ良かった」と一瞬足りとも思わなかったのは、
その中に多々あった気づきや学びも要素としてはありますが、
結局のところ、ここをやらなきゃ出逢えなかった「人」に尽きると思います。

実は、何度か本当に閉めようと思ったこともあり、
我慢に我慢を重ね、苦しみ抜いた挙句、
橋本に閉めるかもしれない旨を報告に行ったこともありました。
「50年続く店になりますように」と、身勝手な理想だけ置いていった橋本ですが、
「その気持ちに応えられそうにない・・・」と伝えに行ったことを思えば、
こうしてハレの舞台を用意してもらって閉店出来ることを、
むしろ本当に幸せなことだと思っています。

橋本以降、綱渡りだった店を引き継いで繋いでくれた、
大谷、前原、両シェフに改めて、
この日を迎えれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
2人がバトンを落としてたら、今のモンテベロは無いんです。
自分たちなんて・・・って思うかも知れないけど、
繋いでくれたからこそ生まれたものが、今、確かここにあります。
名前もなく、自信もなく、不安に押し潰されそうな中、
重い重い責任だけ背負わせてしまっていたんだと思います。
本当に、申し訳なく思っています。
そして、本当に感謝しています。

他にも、橋本時代、シェフクラスの活躍をしてくれた細井(15℃)、
今でも何かしら頼んでもないのに駆けつけてくれる高橋(ボンヌターブル)、
絵美さん始め立ち上げを盛り上げてくれたみんな、
しんどい時代を支えてくれたマミちゃん、
必死こいて良い店にと闘ってくれた鶴賀谷、
いろいろあって書けない面子も多々いますが、
みんなのこと、ちゃんと覚えてます。ちゃんと店に活きてます。
そして、そんな浮き沈みの激しい店にも関わらず、
見放さず応援してくれてきた、愛のあるお客さんの皆さま。
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そのみんなに見て欲しかった、23日のショーケースです。
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ね、本当に、良い店になったでしょ?
アイテムじゃないんです。
味の良し悪しだけでもないんです。
繋ぎ、紡がれた時間、
交わした言葉、激しくぶつかった感情、笑いあった一時、
そこに携わってくれた人たちの想いの全てが、
欠かせない要素として「今」を作っているんだと感じます。

そして、それらを引き継いだ現スタッフのみんなが、
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ここに写ってない全員の想いを引っさげて、
新たな未来を拓いて行ってくれることと思います。

ありがとう。

しか言えない、頼りないオーナーでしたが、
みんなが愛してくれたモンテベロを、
みんな諸共愛しています。

本当に、ありがとう。

誰も欠けることなく、
この言葉が届きますように。

そして、31日の最終営業日、
シュクレとモンテベロ、
2店も抱えて、どう感情を処理しようかなと思っていましたが、
おかげさまで明日はモンテベロはシェフの吉田や高橋、芳枝さんに任せて、
僕はシュクレ一本で行かしてもらえそうです。

行きます。
最終営業日。
特別なことはできませんが、
誰よりも強い想いを込めて、
この地で焼く最後のパンを、
届けたいと思います。


受け止めてもらえると、
とっても幸せです。
# by monsieur-enfant | 2016-03-30 21:42 | シュクレクール

3月、最初の営業が終わりました。
右目と左目をパチリパチリ、
瞬きしてる間に、
3月になっちゃった気がします。

早いもので、
岸部での最終営業月なんですね。
なんか、いろんな感情が入り混じって、
勝手に涙が出てくるのです。

それでも、

ここで焼かれてたパンを
忘れられないよう、
ここで焼かれてたパンを
思い出してもらえるよう、

胸の奥の方に叩き込むような仕事を、
この1カ月、
ぶちかまして終わりたいなと思います。

って書きながら・・・、

やっぱり勝手に涙が溢れてきます。

困ったなぁ・・・。

今月末で、本当にお別れなのです。_c0116714_20395544.jpeg



# by monsieur-enfant | 2016-03-03 23:56

おかげさまで、本日の営業で、
本年の営業を無事終わらせていただくことができました。
足を運んでくださった皆さま、
応援してくださった皆さま、
本当にありがとうございました。

今年は、どんな年だったかと言われると、
やっぱり避けては通れないのが「移転」の発表ですよね。
そうなると、「決断の年」だったのかな、と。

今年のクリスマス、
23日の営業の為にパンを焼き始めたとき、ふと、
「あ・・・、こうしてここでクリスマスを迎えるの、
最後なんだろうな・・・」、なんて感傷的になってみたり。

そう思いながら、焼きあがっていくパンを、
パチリ、パチリ、そんな暇もないくらい忙しいのに、
なんかその一瞬が愛おしく思えて、写真を撮っていました。
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クリスマス、僕の修行時代はあんまり関係なかったんですが、
いつの間にやら忙しくさせていただくようになりました。

うちのこと知らない人でも、なんとなく「フランスパンのお店」ってイメージが、
2年か3年くらいかなあ・・・、ついてきた実感がありました。
地元の人でも、年に一回、この日くらいは食べてもらえるようになった気がします。
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バゲットは、オープンしてから10本も売れない日々が続いて、
それが20本売れた日のこと、今でも忘れれません。
大台に乗った!・・・というと大袈裟に聞こえるでしょうけど、
「ああ・・・、20本、店頭で売れる日が来たんだ・・・」、
そうしみじみ喜びを噛み締めたのを覚えています。
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そんな中、何年目だったっけな・・・、
クリスマスにバゲット100本作らせていただきました。
もう嬉しくて嬉しくて。
開店当初を思えば、夢のような本数でした。
これだけの人が、こんな大事な日の食卓に、
わざわざ岸部まで足を運んでくださるなんて、
職人冥利に尽きるってもんです。
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それから150本になり、200本になり。
いつの間にか、生産が追いつかないようになりました。

こんな場所までわざわざ買いに来ていただいて、
「売り切れてしまいました」では、大切な日のパンを、
一体どこで買ったらいいのかと困らせてしまいます。
なので何とか頑張って仕込んでも、
今度は焼く回数が間に合わなくなってきました。
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もちろん、バゲットだけ焼いておけばいいわけではありません。
全体を満遍なく焼きたくても、バゲットは売り切れないようにしたい、
パンドミは焼かなきゃいけない、レストランに出荷するパンも焼かなきゃ・・・。

今年も、皆さんにはご迷惑おかけしたと思います。
製造もいっぱいいっぱい、量も体力も、限界まで頑張って作ってますが、
疲れてクオリティが下がってしまってたりもしました。
窯も、開店時から同じ容量しかありません。
購入時にすでに10年落ちの中古だったんで、
今では大ベテランの20年選手になりました。
むちゃくちゃ頑張ってくれてます。
機械屋さんには「奇跡」と褒めてもらってます(笑)
ですが、焼ける容量に限界があることは否めません。
昔の物量とは比較にならない量を抱えても、
出口が同じでは時間が縦に重なっていくばかり。
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今年、改めて思いました。
「やっぱりもう限界なんだ」と。
いろんなところに無理がたたり、
歪みが生じてきてるのを痛感しました。

これをね、どうしても改善しなきゃいけないんです。
仕方ないじゃなくて、どうしても改善しなきゃいけないんです。
僕は「飲食業で当たり前と流されてることの全部を、
良い方向にひっくり返したい」と常々言ってきました。
しかし、何も出来てません。何もしてあげれてません。
スタッフに、パンに、快適に過ごせる環境を作ってやりたい、
ただただ、この一点しかないんです。
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僕個人に「どこかでお店を出したい」なんて気持ちは一切ないんです。
大阪市内、東京、思ったことないんです。
「お店作り」という点では、僕はシュクレクールで十分です。
こんな風にしたかった、あんな風にしたかった、そこそこ満たしてもらってます。
岸部でやっていけるものなら、それに越したことはなかったんです。
ですので、北新地に「シュクレクール」をやりに行くつもりはありません。
気持ちの中では、シュクレクールは岸部にあると思ってます。
そりゃそうです、誰にも理解されないくらいの想いは、僕が一番抱えてますから。
ただ今度は、ここで12年やらせていただいて感じた、
パンが出来ること、「食」を通じてしなきゃいけないこと、
たくさんの方々との出逢いで気づかされた「パン屋だから出来ること」、
様々な改善出来なかった問題をクリアにすることと同時に、
それらの発信地として、北新地「新ダイビル」さんという場所から、
新たなアナウンスを今よりもっと広く遠くへ発信していければと思ってます。
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移転の発表から、
店頭でもたくさんの声をいただいてます。
発表の翌日、朝から膝から崩れ落ちて泣いてくださった方もおられます。
普段、滅多に話さないお客さんからも、
ショーケース越しにどれだけシュクレクールが大事な存在なのかを、
小さい子供を抱えながら涙を浮かべ話してくださった方もおられました。
いや本当にね・・・・、
考えれば涙が止まらなくなるので閉店のことは考えないようにしてますが、
そんなお客さんの声に「岸部でやって良かったなあ・・・」って、
心の底から思わせてもらえます。

年明けからは、寂しさも徐々に増していくんでしょうね。
でも、それを打ち消すくらい切羽詰ってるって言いますか、
あまり感傷的になってる暇もないくらいスケジュールはカツカツなのです。
大きな挑戦の年になるのは間違いないのですが、
それより3月のお別れのほうがヤバい気もします。

あと、こんなタイミングで何ですが、
以前、松本さんと宮迫さんとたむけんさんが来られまして、
簡単に食事された帰られました。もちろん仕事で、ですけどね。
その様子を撮影された番組の放送日が決まりました。
1月7日(木)「松本家の食卓」に出させていただきます。
「4時ですよーだ」の最終回、泣きながら歌ってるダウンタウンさんを、
泣きながら観てた世代なので、柄にもなくド緊張しておりますけど。
個人的には実は観たことない番組でして・・・。
時間的にも「雨トーーク!」の中盤くらいが限界。
朝の早い仕事ですからね。初めて観るのが自分が出てる回ってのも新鮮です。
良かったら観てやってくださいな。

それから来年からは、一旦、週休2日に戻らせていただきます。
いよいよ迫ってくる移転の準備と、スタッフが完全に揃わない中で、
人をシフトで回さず集中させたいとの意図からです。
火曜と水曜、モンテベロと同じ曜日での定休日となりますので、
くれぐれもお間違えのないよう宜しくお願い致します。
ちなみに、そのモンテベロは年末年始、絶賛営業しておりますので、
この異質な空間が名残惜しいと思われる方、どうか足を運んであげてくださいませ。

さ、長くなりましたが、
これをもちまして、本年の御礼の挨拶とさせていただきます。
スタッフ一同、積み重なった疲れをとり、
パンクしそうな脳みそを整え、リフレッシュして新年に臨みたいと思ってます。
束の間ですが、また元気な顔で再会できますよう、
皆さんも体調管理には十分気をつけて、良い年越しをお迎えください。

では、改めまして、今年一年、本当にお世話になりました。
来年は一層危なっかしい年になると思いますが、
変わらず可愛がってもらえると嬉しいです。

皆さんの一年が素敵な時間とともに締めくくられますよう、
新たな一年が、希望に満ちた一年となりますよう。


良いお年を。
# by monsieur-enfant | 2015-12-29 01:14 | とりとめなく・・