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なないろめがね

「命」

品川から高速バスに乗り、千葉を目指す。
どれぐらいぶりかすらわからない、久しぶりの訪問。
子供のころは、お正月には必ず帰っていた母方の田舎。
生まれ育った家が、引っ越しにより今は無い僕にとっては、変わらぬ心の故郷。
静かで緩やかな時間の流れる、海沿いの小さな町。・・・村かな?(笑)

今回の帰省は東京の催事に合わせてのことでしたが、
他にも、どうしても来たかった理由がありました。
祖母と、叔父が相次いで病魔に襲われたんです。
祖母は一度完治したと聞きましたが、また再発してしまい、
叔父に至っては、発症時、命の期限まで宣告される病状でした。
僕の母親が20歳の頃、台風の中船を出した祖父が帰宅後亡くなってから、
夜が明けぬうちから天秤棒担いでお魚を売りにいったり、
体調が優れなくても「欲しいって人がいるから」って、お花を背負っていったり、
真冬に冷たい水に手を入れ魚をさばいてる姿を、
幼心に尊敬の念を抱きながら見ていました。
叔父は、とにかく元気で、声も大きく気風の良い人でした。
周りにも慕われ、責任感も強く、病状をを聞いた時には耳を疑いました。

本人も含めて、周りも想像を絶する毎日だったと思います。
断続的に状況を聞くだけで、その場で闘ってるわけではない僕なんかが、
一体なんて声をかければいいんでしょう・・・。
頻繁に顔を出してるわけではない僕が、行くこと自体不自然なんじゃないのかな・・・。
何もできるわけでもなし、逆に迷惑になってしまうんじゃないかな・・・。
母に促され電話をしてみても、
「元気になったら、お店見に行くからな!今は無理だぞ。元気になってからな!」って、
励ますどころかこっちが背筋を正される始末。
そんなとき、東京の仕事が入ってきました。
背中を押されるように、千葉行きを決めました。

1時間くらいで木更津の駅に到着。
母の一番下の妹が車で来てくれました。
見覚えのある景色、耳馴染みのいい千葉弁。
そして何より、幾つになっても何をしてても「叔母と甥」なんですね。
ここに来ると皆「あゆむ、あゆむ」と、変わらず可愛がってくれる。
大阪には無い、心休まる環境です。
最寄り駅は大貫。
車じゃないといけない場所に今は叔父の家族と祖母が同居しています。

どんな顔して入ったらいいのか・・・そんな気持ちはすぐに拭い去られました。
祖母は思ったより元気そうで、安心しました。
叔父は、家でも車いすで、抗がん剤の副作用もあり、容姿は変わっていましたが、
今は気持ちも病状も落ち着いてるらしく、元気に迎えてくれました。
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具沢山のカレー鍋でのおもてなし。
野菜と海の幸のお出汁が良いお味でした。
昔ながらの祖母の漬けた白菜や魚の煮付けも、嬉し懐かしの味付けです。
「命」_c0116714_931791.jpg

普段あまり食べれないと言ってた叔父もよく食べてくれてました。
母の2番目の妹も駆けつけてくれ、賑やかな夕食となりました。
「命」_c0116714_933824.jpg

祖母です。

お鍋から雑炊まで進み、お腹一杯でお開き。
それぞれ家路につきました。
叔父は普段ならもう寝てる時間らしいのですが、昼間に病院から帰ってくるなり、
「今日は歩が帰ってくるから特別だ」と昼寝をしてくれてたそう。
自分の身体が辛いでしょうに・・・・その気持ちだけで十分やのに・・・。
テーブルも片付き、テレビを観ながら、
「何度も駄目だと思ったよ」
話づらい僕の気持ちを察してか、ポツリポツリと話してくれました。
手足が動かなくなった時、リハビリが指を動かすことから始まり、
投げ出しそうになったこと。その時に、脚の無い人が懸命にリハビリしてる姿に、
「五体満足の自分が投げ出したら駄目だ」と勇気付けられたこと。
さっき見せてくれた写真には、楽しそうなお正月の写真に混じって、
病室での写真もありました。家族と笑いながら写ってる陰に、
「誰とも会いたくない日もあった」って洩らしてました。
淡々と話す叔父の言葉が、深く深く痛いほど胸に刺さります。
「寝てしまったら、このまま眼が覚めないんじゃないか」と、
不安で頭がおかしくなる夜もあり、睡眠薬も手放せないようです。
「こんなに周りに支えられてると思ったことは無かったよ」
一人では闘えなかった。周りに支えられ助けられ頑張ってこれた。
そんな感謝の言葉が何度もあった気がします。
昨年、「半年の命」と宣告されてから、もうすぐ1年が経ちます。
本人の生きる意志が、か細くなった命の炎を力強く灯し、
その灯火を周りの人間が雨風から守るように、そっと手で覆って守ってきたのでしょう。
今こうして「生きている命」を目の当たりにしました。
一日を生きるために、僕らの何倍も何倍も命を燃やして生きています。
果たして僕らはどれだけ命を燃やして生きれているのでしょうか?
昨年から今年にかけて、命というもの、生きるということ、
考えさせられることが度重なりました。
結局何も出来ない自分の無力さや、命の平等さ故の不平等さ、
抱えきれず処理できず、こんな文を綴ったのも1年前でした。

翌朝、起きてみると皆起きてました。
なんだかそれすら素敵なことに思えて。
またこうして今日が始まることが決して当たり前ではないことなんだということ、
一体こんな僕の拙い文章で、何人の人に、どれだけ感じてもらえるのだろう・・・・。
中途半端な人間が、どれだけ何を表現できるのだろう。
また、それをすべきなのか否か・・・・。
悩んで考え、言葉を選び、もう書くの辞めようとも思いました。
でもやはり、懸命に生きようとしてる人がいることを、一人でもいいから知って欲しかった。
世界中には数え切れない様々な苦難困難に直面してる命があるのを、
頭では簡単に理解していながらも精一杯生きれてない人があまりに多い気がします。
今の世の中「生きてるだけで幸せ」なんて
奇麗事の言える世界では無いかも知れません。
でも、簡単に投げ出したり、諦めたり、「私なんて・・」と挑むこともしなかったり、
やりもしないで絶望したり、何かのせいにして顔を背けたり・・・。
どう思って欲しいとか、どう捉えなきゃいけないとか、
僕にもそんな答えは見つかりませんし、そこに導く知性も教養もありません。
でも、少しでも生きることや生きてるということ。
何か感じてくれたら記した意味もあったのかと思います。

白梅が咲き、椿の花の蕾もふくよかに膨らみ始め、
耳を澄ませば春の足音も遠くで聞こえ始めている今日この頃。
「また来いよ」
そう言って叔父に見送られて東京に向かう。
「また来るよ」
そう言ったものの、またいつ来れるのだろう・・・。
「頑張れ!絶対、頑張れ!!」
苦しい病と闘う叔父に伝えるのは酷かも知れない「頑張れ」というありふれた言葉を、
何度も何度も何度も何度も心の中で繰り返しながら、
車に揺られ、帰路に着くのでした。
by monsieur-enfant | 2009-02-06 04:10 | 千葉県富津市