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なないろめがね

真髄

朝連で張り切りすぎた老体が、
すやすや睡眠から目覚めたのはお昼過ぎのことでした。
「・・・・最悪や」
そう、この日は予定が詰まり過ぎてて、なんだかんだの後、
6時半には必ず大阪駅に居ないといけなかったんです。
急いで支度して、一路ミナミの道具屋筋に。
ちょっと見たい型があったんですが、基本、型とか使うの嫌いなんで、
結局何も買わずに梅田に戻る。
行きたかったお店3件を駆け足でまわり、
最後に北新地で注文してた品を受取り、なんとか大阪駅へ。
ここから向かうのは、和歌山。・・・・思いつきです。
「思いつき」とか「だいたい」で行動するので、よく後で後悔するんですが、
この日も和歌山までの時間を「1時間くらいちゃうの?」と甘く見てたら、
きっちり2時間かかってしまいました。
着いた時にチラッと時刻表みたら、10時半には必ずお店を出ないと間に合わない。
こんなに朝からバタついて、急いで和歌山まで行って、
滞在時間は2時間ちょい。・・・・・・もう少しゆっくりしたかったなぁ・・・・。

さて、勢いよく反対の出口から飛び出し、また反対の出口まで戻り、
急いで超感じ悪いタクシーに飛び乗りました。
超感じ悪いタクシーから急いで入って行くのは「和歌山ビッグ愛」。
そう、今日は久々の再訪、「オテル ド ヨシノ」です。
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久しぶりの再訪、シェフとも久しぶりの対面、初めてのディナー、なのに、
「すいません。帰れなくなっちゃうんで急いでもらっていいですか?」
・・・・ホントに申し訳ない。少しピッチを早めていただいての夕食です。

タプナード入りの小さなクロワッサン
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女性でも一口でパクッといけるサイズのクロワッサン。
でもタプナードなんて、微塵も感じなかったけど・・・聞き間違えたのかな?

トビウオのマリネ
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「あ・・・・」 前回とはピントが全然違う。
そして美しいビジュアル。
絵画的に走る現代風ではなく「フランス料理」としての佇まいとして美しい。
もちろんトビウオの鮮度もソースのバランスも良い塩梅。

パン
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ロブションなどの店舗併設以外の自家製パンの中では随一のクオリティ。


紀州梅鶏のコンソメドゥーブル
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梅肉を食べさせて育てた紀州梅鶏。そのムースと鶏冠の周りにコンソメを注ぎます。
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旨い!このコンソメは秀逸です!
プレゼンも「レストラン!」って感じで好きですね。
以前、シェフがスープをすごく大事にしてて、
コースには必ずスープを入れるという話を聞いてましたが、
「フランス料理」の技法や想い、その全てが詰まったようなコンソメ。
胸に心に身体に沁み渡ります・・・・。あぁ・・・来て良かったぁ。
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これがスープに付いてくるんですが、スープの余韻に浸りながら手を伸ばすと、
「!!」 このジュレもコンソメです。そこに滑らかなフォアグラとブリオッシュの組み合わせ。
組み合わせ自体は古典的なクラシックな組み合わせですが、
そこに古さは全く感じさせない。旨いもんは旨いんです。

シャンパンから始まって、ワインはお任せでお願いしてます。
シェフの料理だけでなく、ソムリエやソムリエールさんとの交わりも楽しみの一つです。
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有田町の天然岩牡蠣のグラタン シャンパン風味
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これ、結構デカイんです。
身はプリプリで、ジューシーな火入れ。
肝のソースが良いですね。

アカハタのポアレ
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ここの良さの一つは、魚介の鮮度の高さ。
トビウオから岩牡蠣からアカハタから、ホントに美味しい魚介がいただけます。
泡で軽さを出してますが、ちゃんと心の「芯」を感じる味付けで、
決して流れとしてブレてたりせず違和感なくいただけました。
何がクラシックで何が現代なのかとはテクニックや見せ方が全てではなく、
作り手の軸となる立ち位置と解釈の角度、何を追いかけ何を表現しようとしてるか。
テクニックは所詮テクニック。表現は、それを使う人間がするものですから。

視界に入った瞬間から、興奮してブレまくってしまいました。
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アワビ リ・ド・ヴォー フォアグラのピティビエ
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一口食べた瞬間に手が止まりました。
僕は、専門的なことはわかりませんので、
そのお皿から何を感じれるのかを胸に、いつもいただいてます。
このお皿は僕に、「あ・・・、僕は2ツ星のシェフと仕事させてもらってたんだ・・・」
そう、思わせてくれました。理屈じゃないんです。そう思わせてくれたんです。
そのことをシェフに伝えると、
「いや・・・僕はそのつもりだったんですけど・・・」と、苦笑いしてましたが(笑)
あまりに「フランス料理」として完成された一皿。
「フランス料理」のエスプリを形にした一皿。

デセール
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エスプレッソ
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ミニャも美味しくいただきました。
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時間を見計らって出していただいたので、
こっちは時間を気にすることなく、且つ急かされる感もなく、
とても居心地の良い時間を過ごさせていただきました。
帰りの電車にも間に合ったんですが・・・、
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各駅だったのには驚きました(笑)
ま、途中で乗り換えることができて、
下手したら天王寺で電車無くなってしまうと思ったんですが、
ギリギリ、岸部まで辿り着けました。

何度も書いてることですが、僕は「人」を食べにいきます。
その「人」を知り、「人」に興味を持ち、「人」を感じる為に足を運びます。
最初にここに来たときもそう。
たまたま何度か会う機会があり、その「人」に興味を持ちました。
でも最初に来たときは、たまたまかも知れませんが、
その「人」が出てなかった気がしました。感じるものが無かったんです。
でも僕は、その「人」が好きでした。
それでもその「人」が好きでした。
だから逆に「なんでやろ・・・・」と思ったんです。
その後も何度か会う機会があり、
その都度「あの時の料理はなんやったんやろ・・・」って思ったものです。
それくらい素晴らしい情熱と向上心に謙虚さを併せ持った料理人です。
だからこそ、今回また会いに来たんです。会いに来たいと思ったんです。

お店も生き物です。
オープン当初のうちのパンだって、もちろん一生懸命作ってましたが今とは違います。
僕は人間を35年やってきてますが、風邪もひけば体調も崩すし、
人生の中では予測できないことや過ちだっていっぱいあります。
繰り返しますが、お店も生き物です。
シェフやスタッフと共に日々変化し、成長していきます。
自分一人でない以上、予期せぬことも多々あります。
でもそれも「店」が生き物である以上、仕方ありません。
そして、それを育てる要素の中に「お客さん」がいるわけです。
フランス語には、そんなお客さんを指す単語があります。
「ソワニエ」と言います。日本語で近いのは「上客」という言葉やと思います。
お店を愛し、その作り手を愛し、その作り手の意思を理解し、
お店を見守り育ててくれる、店の成長にとって有益なお客さんを指します。
「上客」であって「常連」ではありません。
お店となぁなぁな関係になることとも違います。
ましてや表面的な部分でしか判断できないコレクターとは立ち位置そのものが違います。
お客さんが理解してくれてると思う「信頼」。
この店なら・・・とお客さんが寄せてくれる「信頼」。
それらを感じられない中で、お店という生き物が生きていけると思いますか?
わかってくれる方々がいなければ、恐くてアクション一つ起こせませんよ。
世の中が移ろう以上、変化をしないことは後退を意味します。
日々、小さな変化は起きています。
小さな小さな変化だって、前に進む大きな変化なんです。
それが自分たちに都合が良ければ賞賛し、思ってるのと違ってくれば非難する、
「味が落ちた」だの、「昔はこうだった」などと言いたがる輩も多い世の中。
先にも書きましたが、お店は人と共に変化し成長していくんです。
「老舗」と呼ばれる店が、明日から老舗にはなれないんです。
一日一日を積み重ね、不安定な若い店を必ず経た後、
「老舗」という領域に立つわけです。
人間が苦難がなくては成長できないように、
僕らも店も、順風満帆な毎日ばかりでは良い店にはなれないと思います。
様々な問題を乗り越え、みんなでカバーし、チームとして結束し、
人間として少しずつ成長しながら、お店も成長していくんです。
同じ人が、同じ志で、同じ情熱で作ってたって、お店はいろんな要素が絡み合います。
お客さんに提供するものだけを作るロボットじゃないんですからね。
知り合いのシェフからも忠告されました。
「アクションを起こしたら、何も変わってなくたって言いたがる人は言うんだから」
哀しいですが、これが現状です。

あのね、「人」は、そう簡単には変われないものなんですよ。
僕の好きな有名人に「桑田 真澄」という元巨人のピッチャーがいます。
高校1年生から甲子園を沸かせた、球史に残る名投手です。
名門高校で背番号11番を背負って、
大きくない身体をいっぱいに使って投げ込む1年生に、
マスコミはもちろん飛びつきました。
野球に打ち込む姿勢、その謙虚な発言に並々ならぬ向上心、
世間は賞賛の嵐でした。
そして運命のドラフト会議です。
一夜にして悪人として吊るしあげられました。
昨日まで「桑田君、桑田君」って言ってた記者でさえ、呼び捨てですよ。
一人の高校生が、大人を巻き込んだ一芝居なんて打てると思いますか?
「桑田 真澄」という商品を手に入れる為の大人の策略に巻き込まれたなんて、
火を見るより明らかです。
「個人の意思」より「世論」。日本特有の文化の犠牲者の一人やと思います。
彼が決めたこと。彼が悩み苦しんだ末に決めたこと。それを尊重するのが本来ですが、
勝手に群衆が描いた「清原 巨人」、「桑田 早稲田」のハッピーエンド、
その通りにいかなかったことに対する反発。
じゃあ、彼の人生、誰か保障してあげれたんですか?
僕は清原さんも好きなので、当時の心情などを話してるのを聞いたり読んだりしていると、
もちろんそれはそれで心は痛みます。
ま、そんな話をしだすと収拾がつかなくなるほど脱線してしまうので避けますが、
要は昨日の「桑田 真澄」も今日の「桑田 真澄」も、同じ「桑田 真澄」だってことです。
違うのは周りだけ。群がってたのは、それが世間が求める「桑田 真澄」だったから。
世間がアンチ桑田の流れになった時には袋叩き。
だって、世間はそれを求めてたから。・・・・・くだらない。
彼にとってみれば世の中、全部ウソだったわけです。
笑顔で近寄ってきた人も、応援してるからって言ってきた人も、
みんなただ自分の中の「桑田 真澄像」を押しつけて、それが崩れたからサヨウナラ。
何を思って生きていて、そんな価値観を持ってて、どんな生き方を望んでて、
そんな彼だから注目もされたんだから、
そんな彼の決断を応援するのが普通じゃないでしょうか。
人間、迷うこともブレることもありますし、時には間違った判断もするかも知れません。
でもそんな時に見なきゃいけないのは、結果ではなく根底の部分なんじゃないでしょうか。
根っこがブレてなければ「その人」は「その人」です。

かなり大きく話が逸れましたが、
今回再訪したのはその「人」の部分が間違ってない人だと思ったから。
彼は彼です。上手く表現できるときもあれば、そうでないときもあるでしょう。
類稀な向上心故に気持ちが揺らぐこともあるでしょう。
でも僕は、彼が彼であるかのほうが大事なんです。
今回、もしまた「?」と感じてたとしても、彼が彼であるならば、
また時を経てここに彼に会いに来たことでしょう。
料理に関してアマチュアの僕が首を傾げることに、
シェフの彼が気づいてないわけはないでしょう。
必ず改善し、今度は楽しませてくれるはず。
それが店と客との信頼関係じゃないでしょうか。
もちろん、その部分が根底から覆されるような「?」なら話は別ですよ。
表面的な部分や味覚の些細なズレなら、
季節や体調の変化、食材の当り外れ、
無いに越したことはありませんが、合う合わないもあるでしょう。
全ての料理に諸手を挙げて喜べるかと言われると、それも違うかもしれません。
でも、だからこそ変わらない部分、目先ではない部分、そこを見ていたい。
どんなものかより、誰のものかを大切にしていきたい。
もちろんその「誰」というのは名声ではなく心を持った職人のことです。

そんな「人」に逢うこと。
そんな「人」に逢える自分であること。
職人としてというより、僕の人生で重要な基軸であることは、間違いないようです。
by monsieur-enfant | 2009-09-28 03:33 | オテル ド ヨシノ