2010年 08月 16日
遠い場所から届いたもの。
知ってはいましたが現物をこの尺で見るのは初めてです。
まるで植木でも入ってるかのような箱の中身は、
固定用の紙の量も半端じゃないっすね。
なかなか頭も見えません。
やっと原形が姿を現し始めました。
「ガトー ピレネー」
バスク地方・ピレネーの山奥で作られたもので、
今では本国ですら自家製で作ってる店は無いというお菓子です。
いやぁ・・・圧巻ですね。
早速切り分けて、みんなで美味しくいただきました。
このガトー・ピレネーはね、
知り合いがわざわざ、この箱を東京から提げて届けに来てくれたんですよ。
夏休みで帰省する途中(え・・っと、四国のどこか)、全然ついでじゃないのに、
わざわざ大阪に立ち寄って更に岸部まで持ってきてくれたんです。
彼とは、彼が神戸で働いてた時に、
休みの度にシュクレに来てくれてたことから縁が生まれました。
イートイン席で、散々説教・・いやアドバイスをした記憶があります(笑)
「ぐだぐだ言っとらんと東京行ってこい!」
彼は一念発起して東京のパティスリーで働くことにしたんです。
僕、想いって抱えてるだけじゃ輪郭も見えないし形には絶対ならないと思うんです。
行動に移して、情熱を形に変えて、その道が合ってる間違ってるだの言う前に、
想いを具現化する為に生き始めることが大事なんだと思うんです。
彼の一歩は嬉しかったなぁ・・・。
説教・・・いやあくまでアドバイスですが(笑)、背中を押すことくらいは出来たのかなぁ、
って思ってる矢先、彼が辞めたとの噂。
そこからずっと音信不通だったんですよね。
「あ~あ・・・、この仕事も辞めちゃったのかなぁ・・・」
と思ってたら、大阪某店にてバッタリ。
いろんな話は間接的には聞いていたものの、
僕、本人から聞くまではそれらは単なる「情報」として処理してるんです。
本人の話と照らし合わせて初めて「真実」になるわけです。
誤解とか偏見とか噂話とか、
そんなつまらないものに少しでも感情を揺らされることすら嫌悪感に苛まれます。
「真実」は、一つしかないのですから、
その一つに触れるまでは他の話は全て架空もしくは暫定でしかないんです。
自分の目で見たもの、耳で聞いたもの、心で感じたもの、
それが僕の「真実」です。
「お店においでよ」
それくらいしか話さなかったんじゃないかな、その時は。
後日、彼はシュクレに来てくれました。
来たかった、と。 でも合わせる顔がなかった、と。
辞めた理由は詳しく聞いてません。そんなのはどうでもいいんです。
彼が彼なのか、それを会って自分自身で確かめたかったんです。
僕の中の真実は、彼自身ですから。
彼は彼でした。いや・・・もっと大きくなってました。
「実は今、オーボンヴュータンで働かせてもらってるんです」
鳥肌が立ちました。
僕の思う国内フランス菓子店の最高峰。あくまで最高峰です、最先端ではなくてね。
いや、店名に鳥肌が立ったんじゃないんですよ。
神戸でグダグダ煮え切らなかった青年が、
一念発起して向かった東京で一度夢破れ、
そこから自分の意思でさらに厳しい環境へ自分を追い込んだっていう気持ちに、
思わず鳥肌が立ちました。
一店舗目で成果を上げ、意気揚々とステップアップしたわけではありません。
おそらく「このままじゃダメだ!!」と自分を奮い立たせたことでしょう。
強くなったね・・・。知らないとこで懸命に闘ってたんだね・・・。
彼が僕に示してくれた「真実」は、やっぱりここにしかないたった一つのものでした。
販売で接客を担当する期間を経て、彼は今、厨房に立ってます。
その彼が今、「ガトーピレネー」を任されてるそうです。
初めて見るガトーピレネーが、彼の作ったガトーピレネーになるとは・・・。
河田シェフのが見たかったのに(笑)。
長い道程を経て届いたお菓子。
そこには長い道程を経て辿り着いた、一人の人間の「今」が在りました。
彼の人生、まだ当然過程なんですが、過程が全て過程ではありません。
過程の中でも通らなきゃいけない道や残していかなきゃいけない結果があるんです。
今の世の中、楽して生きることは難しくないでしょう。
苦しみや辛さを伴う仕事は若者にはナンセンスなのかもしれません。
でもね、いつ心を鍛えるのでしょうか?
何度も言ってるように、学生生活も終わり「先生」と呼ばれる人たちから離れ、
自立し親からも離れて行かなきゃいけなくなる社会人にとって、
仕事とは、自分自身を磨く大きな基軸になるわけです。
職種の選択は、いわゆるカンナやヤスリの選択のようなものであって、
どの道具を使って自分を磨いていくのかの選択なわけです。
みなさんは、自分自身を磨けてますか?
苦しみや辛さを伴う仕事は確かに選択するのに勇気がいります。
肌に当てればザラザラするだろうし、擦れば痛いでしょうし。
見たからに痛そうなものを手にするより、
痛くなさそうなものを手にしたくなるのもわかります。
でも、摩擦係数の少ないものが、
まだまだ未熟でこれから磨きあげなきゃいけない人間を、
輝かすことが出来るのでしょうか?
普通はね、摩擦係数の少ないものは、
最後の仕上げに近づくにつれて選択するもんですよ。
それを生易しいヤスリを最初から選んだ時点で、
多分その人の先は見えてます。
だって、それは「磨いてる」んじゃなくて単に撫でてるだけの行為ですから。
先程の彼、僕の想像以上のカンナを手にしました。
自分で、自分の意思で、あえてそれを手にしました。
僕もね、かなり摩擦係数の高い人生を、公私ともに送ってきてますが(笑)、
僕の場合は、半年に一回くらいの割合で目の前の景色が変わってますから、
彼のように自分の意思で選んだというよりは、
慌ただしく変わる景色の中で掴んだカンナやヤスリが、
「またかよ!!」ってくらいことごとくザッラザラで、
自分の意思はさておき、それを使わざるを得ない状況だったんです。
ですので僕がしたことは一つだけ。
目の前の状況から逃げなかったということだけです。
あとは環境や出会いが、ろくでもない僕を磨いてくれたんです。
彼は自分で選択しました。僕とは違います。
そんな彼を尊敬してます。全部じゃないけど尊敬しました。
僕、あんまり「負けちゃいられない」とか思いませんが、
彼には「負けちゃいられない」と思わされました。
そう思わせてくれたことに、「ありがとう」。
そんな君でいてくれたことに、「ありがとう」。
by monsieur-enfant
| 2010-08-16 02:48
| オーボン ヴュータン