2012年 08月 22日
清らかで、濁りなきよう。
「源兵衛川」を探しに行きます。
僕が幼い頃から、「夏休みは長野に旅行」が決まりごとでした。
その中で毎回登場するのが「湧水」。母親が大好きなんです。
清流を見つければ遡って源流まで行き、
その川の始まりの一滴を見に行くなんてこと、よくやってました。
子供ながらに・・・、しょうもなかったです(笑)
そりゃそうでしょ、子供にとってはどこの山も同じ山、どこの川も同じ川。
でも、そうやって毎年繰り返し擦りこまれた記憶は、
大人になっても夏になればキレイな川が恋しくなるように洗脳されてました。
母方の田舎の千葉県富津市大貫は、大貫海岸が徒歩5分くらいだったんですが、
なんせ帰るのが正月ばかりだったので、海で遊ぶことも少なく、
結果として静かな川の流れをこよなく愛す、
大人しい草食男子として成長してしまったのでした。
「源兵衛川」は、上流のいづみ橋から下流の温水池まで、
1.5kmの距離を流れる清流です。
その流れは街中も経由し、場所によっては「川端」と呼ばれる、
昔の洗濯場も見られるそうです(昔を偲んで復元されたもの)。
鰻屋さんは、ちょうど真ん中くらいに位置してたのかな?
裏手に回り、せせらぎの音を頼りに歩くと源兵衛川に辿りつきました。

さっそく下に降りてる三姉妹。

この源兵衛川、遊歩道が整備され、ちょっとした散歩道になってるんです。
さっそく歩き始めてる三姉妹。

ちょっと引きで撮ると分かると思いますが、
本当に団地などのすぐ側を流れてるんです。

そして、どこまで伝わるかわかりませんが、
本当に水がキレイで、心が洗われます。

まだ柔らかかった陽射しを浴びながら、
心地良い風に吹かれ、キラキラした水面と、
囁くようなせせらぎの中を歩く、静かな静かな時間。

と、思ったら、見上げると電車がすぐ走ってたり。
さっそく遮断機に駆けより電車を見る三姉妹・・・。

ここらで遊歩道的なものは途切れてたんですが、
踏切には、こんな標識が。

矢印のほうを見ると、こんな感じ・・・。

一応、ギリ「道」のような石が、置いてあるのやら転がっているのやら・・・。
でも、なんか良いですね。あんまりこういうこと日常で無いですもん。
線路の下を潜って、川の中の石の上を歩いて進む・・・、ちょっと童心に帰ります。
そして、その先には小さな眼鏡橋。

昔、水路があった名残なども見かけれます。

どうやら、この辺で遊歩道が切れてるので来た道を戻ります。

川辺に降りてきたところまで戻り、

今度は趣きの違う反対側へと歩いていきます。

この辺りは、源兵衛川の遊歩道の中でも最も緑が多く、
野鳥も含め豊富な生態系が存在してるんだそう。

途中、何人かカメラを抱えた方がおられましたが、
タ―ゲットはカワセミだったようです。清流にしか生息しない鳥ですもんね。
そして、この辺りで他によく見かけたのは、
川に入りゴミなどを拾うボランティアの方々の姿。
こういう方々の有志無くして、こうした美しい景観は守れないですよね。
実際、昭和30年代後半から伸び始めた経済成長に伴い、
三島に進出してきた企業による大量の地下水汲み上げや、
人口増加による飲料水への供給拡大などによって、
渇水の危機に晒された時期もあったそうです。
その後、公園の設置や遊歩道の整備などを軸とした、
「源兵衛川水環境整備事業」により、
昔のような美しい環境を取り戻すことが出来たそうです。
さらに、先程も書いたような、市民による有志の存在により、
定期的な川の清掃や、ホタルの幼虫放流活動なども行われてるようです。
水と共に生きていきた三島の暮らしを守ろうと、
穏やかに流れる清流の流れの裏には、懸命な努力があったんですね。
・・・・それにしても、いつの時代もどこの場所でも、
環境破壊とかまで行かなければ自分たちの行いを悔い改めることができない、
勘違いした人間の愚かさったら無いですよね・・・。
ふと下を見ると、「雷井戸」の表示が。

見つけれなくて、その辺のオッチャンに聞いてみると、
「そりゃ、わからんやろ・・・・」ってな、住宅地の路地に入ります。

着きました。懐かしいっすねぇ。

昔、祖母の家の下にも、こうした手汲み式の井戸がありました。

残念ながら、飲み水じゃないんです。こんなにキレイなのに。
羨ましいことに、三島市で使用される水道水は、
すべて地下水を源としていて、
伊豆島田水源池と、湧水群のある柿田川から取水される、
駿豆水道から供給されてるそうです。
三島駅の近くにも「三島湧水群」があり、
今回歩いた源兵衛川も、元は田んぼへの水の供給のために作られたそう。
この地域が、如何に水と密接な関わりを持っているかが分かります。
更に先程食べた鰻も、このキレイな地下水を使った水立て場で、
約1週間ほど湧水にさらされるそうです。
そうすることによって、鰻のお腹に残った餌や泥などが吐き出され、
余分な脂肪も落ち、身がぎゅっと引き締まった、
歯ごたえのある味へ変わっていくんだそうです。
三島の源兵衛川で、散々川で遊んだくせに、
次に向かうのも実はまた「川」なんです。
読んでる皆さんが飽きなきゃいいんですけど・・・。

幼少の頃に来たことがあって、
すごい下りの階段の下にあったことと、
幼心に鮮烈な印象を刻まれたことを覚えています。

本当にキレイな緑の中を歩いていますが、
実は大量に車が混み合う、国道の一本入ったところにあるんです。

なんとなく薄らとですが記憶とリンクし始めると、
だんだん近づいてることも分かり、ドキドキしてきます。

あぁ・・・、見えてきましたね・・・。
また来れると思ってなかったです・・・・。

「柿田川」

約8,500年前の富士山の大爆発で、
大量の溶岩を噴出してできた三島溶岩流。
その間を通って、富士山の東斜面に降った雨や雪解け水が、
約40キロ離れた清水町の国道1号の直下から湧き水となって現れます。
これが「柿田川」で、日量100数万トン、
富士山周辺周辺では最大の湧水群なんです。

地下で自然浄化された水質は、なんと濁度0度。
透視度の極めて優れた湧水なんです。
柿田川を眺めるポイントは幾つかあるので、
深い緑と澄んだ空気の中を移動します。

僕の記憶にあった「すごい下りの階段の下」というのは、
多分、ここのことでした。

そうそう、こんな展望台から覗きこんだ記憶があります。

昔と同じように覗きこんでみると、
そこには少し湧きでる量が減ったようにも思えますが、
昔と同じようにコバルトブルーの湧水を湛えた「わき間」が見えました。

湧きでてるのが分かりますか?
右下辺りに、煙のように吹きあがってるのがそうです。

前に来た時は、必死に身を乗り出して見てたような。
今じゃ数歩下がってても柵の向こうが見えるくらい背が伸びました。
歳も、いつのまにか40前。こういう場所に来ると、いつも思うんです。
柵に掴まり、身を乗り出して見てた岩永少年、
僕は、こんな大人になりましたが、どうですか?って。
自分が成りたかったような生き方、出来てるんかなぁ・・・。
岩永少年を、ガッカリさせない自分でいれてるのかなぁ・・・。
今度、もしまた来る時は、岩永少年と、岩永中年に、
少しばかり胸張って来れるような、歳の取り方をしていたいものです。

そう思いながら、柿田川を後にしました・・・。
〔おまけ〕
駐車場への帰り道、国道1号へ出て歩けばすぐに着いたんですが、
名残惜しかった僕は一人、柿田川沿いの来た道を戻ることにしました。
最初に来た頃は、確か故立松和平さんがニュースステーションで、
柿田川を何度もリポートしてたんだと思います。
立松さんの独特の語り口調と共に、
強烈に美しい映像から覗き見る「柿田川」という川の存在は、
僕の中でも若干神格化し、最初に来た時は、
ちょっとした有名人にあったくらいドキドキしたのを思い出します。
次、いつ来れるか分かりません。
って言うか、今回もここに来るとは知りませんでした。
唐突に再会した古い記憶に戸惑いながら、
遠くに見える、透き通った川の水面に自分を映し込みながら、
ふらふらと物想いに耽って歩いていると・・・・。

一点を見つめて物想いに耽る一匹と遭遇。

歩みを停め、しばらく見てみる。
目線の先を追ってみたりもする。
・・・・草しかない。
目線を彼に戻してみる。
・・・・全然動かない。
ず~~~~~っと、このまんま。
っていうか、どっから来たんやろ。

なんかね、せっかく自分の世界に入ってるのに、
通行人が邪魔するのも嫌だから止まってましたが、
さすがにずっと草見てる猫をずっと見てる程暇じゃないもんで・・・。
申し訳ないですけど、後ろをそ~~っと通らせてもらいました。
通り過ぎる時も動かなかった彼ですが、
振り返ってみると・・・、動いてる!

しかも、めっちゃリラックスしてる!(笑)
問題は解決したのかな?
それとも、どうでもよくなっちゃったのかな?
ん~~~~~~~・・・・、

刺されたのかな?
蚊、いたしね(笑)
と・・・、なんか、フッと気持ちが解れてる自分がいました。
足取り軽く、三姉妹の待つ駐車場へと向かいます。
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by monsieur-enfant
| 2012-08-22 20:09
| とりとめなく・・