こんにちは。
・・・誰も居ない部屋に「ただいま」って言うような気持ちです。
ご無沙汰しまくってます。「なないろめがね」家主の岩永です。
久々過ぎて保存方法を忘れてしまい、一度全部消えましたが屈せず書き直しました。
みなさま、お変わりありませんでしょうか。
さて、こないだ、北新地移転後、1周年を迎えることができました。
その前には岸部が13周年を迎えることができました。
この過ぎた時間の全てが、僕らの今を作ってくれていますので、
振り返ることなくただ明日へと進むのみでございます。
そして皆さんが足を運んでくださることで生まれる未来へのチャンスを、
また皆さんに還元することで関係性が成立すると思っています。
大して何かに貢献できるわけでもありませんが、
「また何かおもろいことやってんなぁ」くらい思っていただけるよう頑張ります。
適度に可愛がってやってくださいませ。今後ともよろしくお願いします。
さて、なぜ急にブログに帰って来たかと言いますと、
周年のご挨拶もありますが、個人的にどうしても書いておきたいというか、
皆さんにも見ていただきたいことがありました。
南日本新聞に掲載していただいた記事です。
はい、鹿児島枕崎にある「金七商店」さんで、鰹節を学ばせていただきました。
と言うと、「何に使うんですか?」と、すぐ聞かれるのですが、
そんなことは僕にとってどうでもいい話です。二の次三の次です。
確かに、お取引をさせていただいてるお店さんは、出来るだけ足を運んでから決めてますが、
足を運ぶからといってお取引を前提にしてるわけではありません。
なので若干、「何しに来たの・・・?」みたいな空気になることもあります。
が、僕の目的は一つ。会いたい人に、会いに行くんです。
前々から話は聞いていました。でも、薄っすらとでした。
そもそも鰹節の知識がないもので、知識で入れても理解できないんです。
となると・・・、行っちゃうしかないですよね。
僕が興味を持ったのは、単純に「どんな人が、どんな想いで日々挑んでるんだろう」ってこと。
醤油や味噌と同じように、日本人の僕らにとって普通に身近にある食材。
ですが、そういう仕事は決まって後継者不足に悩まされ、
若者の地方離れもあり労働者の確保も困難になり、衰退して行ってるのが現状です。
そんな中、今、僕らに近い世代の跡取りさんらが現場に入り、
伝統を継承しながらも新たな価値を創造し発信している作り手さんが増えています。
うちの店頭にも「巽醤油」が並び、GREEN MARKETにも来ていただいてる愛媛の梶田商店さん。
秋田に行った時に伺えなかったのですが、新政酒造さんも大鉈を振るって今を切り拓いています。
ここ「金七商店」三代目、瀬崎祐介さんが何を想い何を伝えたいのか、
そして「古事記」にもその原型を成すものが記されている日本古来の水産加工品とは、
一体、どんな風に今に伝えられ守られているのかを感じて来ました。
鯉のぼりと並んで元気に泳ぐ鰹のぼりに迎えてもらった、心地よい風の吹く五月晴れの日曜日。
もともと良い気候の季節を選んで訪れることになってた、
東京青山「レフェルベソンス」の広瀬さん夫妻と内藤さん、愛媛「梶田商店」梶田さんの一行に、
「あ、僕も一緒に行ってもいい?」と、断り難いことこの上ないのを承知でお願いし、
もれなく参加させていただきました。
初めまして、の4代目、瀬崎祐介さん。
空港に迎えに来ていただいた時に、「あ、絶対嘘のない人だ」と感じました。
それは枕崎への道中で繰り広げられた梶田さんのオチのない話にも、
嫌な顔一つせず聞いていた姿で確信に変わりました。

・・・と、隣はイベントがあると祐介さんのお手伝いに積極的に参加し、
地元では祐介さんより有名になってるという5代目の稜空(りく)くん。
この日も楽しそうにお手伝いしてくれてました。
今、この昔ながらの3種の包丁を使ってるところも少なくなってるそう。
右の包丁で身を切り、真ん中の包丁で背中の皮を薄く削ぎます。左の包丁は2本しかなく、3代目と4代目、瀬崎さんとそのお父さんしか使えない大事な意味を持ちます。
まず、頭を落とします。骨に当たるまで垂直に下ろし、そこで横に滑らせます。この「横の距離」が後に、本枯れ節にとって大事な形を生むわけです。

ね、切り口が真っ直ぐじゃないでしょ?ちょっと斜めに見えますが、ザクッとやって、クッ!クッ!とやってるので正確には単純に斜めってわけではないのですよ、はい。

腹ビレに向かってY字にお腹を裂き、内臓を取り出します。

この切り取った部分は「腹皮」(はらがわ)と呼ばれる、マグロでいうトロの部分。ですが鰹節を作る工程では不要な為、安価で売られ魚屋さんに並んだり、お昼の賄いで食べたりするそう。なので、賄いが美味しいと鰹に脂が乗ってることになり良い鰹節にはならなくて、賄いの腹皮が美味しくないと鰹節は美味しく仕上がるという、なんともセンチメンタルな部位なのです。もう一つ鰹の状態を見る部位として、「珍子」(ちんこ)があります。これは、鰹の心臓のこと。白い筋が円状に付いてるのですが、その部分が多いと脂の乗った鰹。つまり鰹節には不向きな鰹というわけです。この珍子は串焼きにしたり唐揚げや煮付けにもなるそうです。
そして真ん中の包丁に持ち替えて、背びれ周りの皮を剥ぎます。

ここで薄く背びれが切り取られるわけですが、そういえば昔、市役所だったか学校だったかで、新任の先生だったかなんだか、頭に鰹の背びれを模した帽子かなんかを冠せられてた映像を観た記憶があったんです。さかなクンをパロってると思ってたら、枕崎での習わしだったんですね(全校ではないそうです)。
そして鰹を縦に持ち、背骨の左右に包丁を這わせて身を骨から剥がしていきます。

ちなみに魚をいつも横から見てるわけですが、縦向きが魚の本当の向きなんだそう。「で、何が違うの?」って、なりますよね。わかりますよ、その気持ち。魚の向きがどっちだろうが日常生活に一切影響しませんからね。ですが・・・、鰹のお腹に付いてる縞を「横向き」と思ってた、あなた!それ「縦向き」ですからね!!僕も今知りましたけどね!!
で、こうなるわけです!!で、自分もこうなるはずでした!!

ちなみについでに、もう一つちなませていただくと、鰹が泳いでる時って縞は横向きだそうです。えー・・、人間目線だと縦向きです。それが釣り上げられ興奮することで縦向きになるそうです。・・・人間目線だと横向きです。まぁ、僕も知ったばかりですけどね。人生でこんなに鰹にアプローチしたことないですもん。
そして遂に左側にあった丸っこい包丁の登場です。

考えたこともありませんでしたが、鰹節のフォルムの緩やかな曲線。雄節と雌節に切り分ける際に、この丸っこい包丁を使って切り分けながら描いていたんですね。このフォルムは、たくさんの鰹節に混じったとしても「これ、うちの形だ」って分かるそう。それくらい大事で、尚且つラインの具合をなかなか言葉で説明できるものではないので、ここは二代目のお父さんと、三代目の祐介さんしか触れないんだそうです。
・・・・・と、まぁこんな感じにサクサク捌いてしまうわけですが、見てて思ったかもしれませんが、なかなか血が出るんですよね。しかも真っ赤。あのカッチカチの鰹節からは、なかなか生身の鰹は想像しにくいとは思いますが、全て「命」をいただき作られてることを、改めて認識することも大切なことです。でも、全然生臭くないんです。特別な消臭はしてなくて、作業台に常に地下水が流れてたり、ひとつひとつの道具をしっかり洗うといった当たり前のことを、徹底してるからなんですね。・・・・と、話を逸らしてみましたが、はい、見学しに行ったわけではないのです。僕らは体験しに行ってるのですよ!!

四苦八苦してるように見えますか?あなた、良い目してますね。でも、皆さんが思ってる8倍くらい四苦八苦してますから・・・。ろくに日々魚も捌かないので、プロセスが全く頭に残らない!おまけに「ここを、こうやって・・・」という説明のイメージも全く共有できない!「・・・?」みたいな頭の中がバレないように真剣な顔して聞いてましたが、所詮このザマです。一応、加工の行き先は良いの悪いのでいろいろあるようなのですが、なんとも命に申し訳なくて・・・。その罪悪感を、ここで懸命に書くことにより払拭しようとしております(笑)

・・・そう見えますか?イジけてるように見えますか?ああそうですか。でもこれ、骨抜きしてるんです。確かに冴えない哀しげな顔してますが、ただイジけてるわけではないのです。イジけながら骨抜きをしてるのです。イジけながらも骨抜きしてるのです。イジけてるのは事実ですがそれでも骨抜きをしてるのです。写真の説明はこれしかありませんが、実際は骨抜きの時間が大半を占めるんだそう。
朝から始まり、生切りを終えた昼食後は、ひたすら帰るまで骨抜きの人もいるみたい。ここで骨や鱗の残った鰹は、この後の工程で曲がったり反ったりしてしまいます。まっすぐ伸びた本枯れ節を作るには、地味ですが決して手を抜けない大事な作業なんです。
この日、僕らのために用意してくださってたのは鰹500㎏。
ですが、途中、「無理やな・・・」と変更されたのが300㎏。それでも全然こなせず、捌き方も簡単なものに変えました。大型の鰹は、本枯れ節にもなるため、祐介さんのお手本のように捌くのですが、この捌き方をすると当然技術も要りますので「誰でも」というわけにはいきません。人手不足の現状もあり、多くの会社がその技術より流れ作業を選択しているそう。皆んなの手元に多くあるようなパック化の弊害ですよね。細かく削ったり、粉にしてしまうのなら、良い仕事を施すことより量をこなすことを選ぶのが常。ただ、それを簡単に「え〜〜〜〜?」とは言えないですよね。末端でその仕事を選択する流れを作ってるのは、僕たち消費者の選択であるのは間違い無いのですから。
さて、捌いた鰹は丁寧に骨抜きされ、湯がかれるのです(煮塾というらしい)。大きさや脂の乗り具合によって、お湯の温度も時間も変わります。

このまま下まで降ろして・・・・

その間に、お昼ごは〜〜〜ん!!!!!

いや本当に・・・何のお役にも立てずに申し訳ないのですが、祐介さんのおばあちゃんと奥さんが作ってくれた鰹づくしのおもてなしに、テンションの上昇を抑え切れません。さらに・・・・、

卵かけご飯を直接下まで持っていくと、その上に祐介さん自ら削ってくれた鰹節がふわりふわり・・・。

その様はまるで、仕事のできない男どもに、救いの鰹節を恵んでくださるイエス様のよう・・・。逆に、仕事もできないくせにお椀を差し出し慈悲を乞う男どもの卑しき姿とも・・・。削りたての薫香高く漂う鰹節と、濃厚な卵かけご飯、醤油は当然「巽醤油」・・以外、使えない状況でもありましたが、なんとも贅沢な組み合わせ。初めて食べる「腹側」の食感はとても面白く、「珍子」の串焼きは塩胡椒のみでシンプルに。そよそよと吹く心地よい風と柔らかな陽射しが、眠気を誘います。いっそ誘われちゃおうかと思ったくらいです。
あ、鰹の話をしてませんでしたので、この時間を使ってざっくり書いておきます。例えば「最高級の鰹節を作るには」って考えると、やはり厳選した新鮮な鰹を使って・・・思いませんか?近海で獲れた腕利き漁師さんの一本釣りの鰹を使った・・・なんて、付加価値も上がりそう。ですが、一概にそうでは無いんだそう。鮮度が良過ぎると、身が割れちゃったりするんですって。「脂の乗った近海一本釣り」なんかは、そのままお刺身等で食べる用に流通します。鰹節に使う鰹は、もっぱら遠洋巻き網漁が一般的で、遠く赤道直下の国まで(キリバス等)漁に出るんだそう。鰹はすぐに冷凍され枕崎へと持ち帰られます。昔は漁に出る期間も長かったそうですが、今は海外の漁場の使用量が高騰し、短期間でたくさん漁って来なければならなくなってるそう。その金額は、1日100万円にも達するんですって・・・。鰹漁を生業にする漁師さんも随分と減ってしまったそうです。

その鰹を一晩流水解凍したものを、鰹節にしていくわけですが、鰹を取り巻く環境も、鰹節を取り巻く環境も、大きく変わっている中で、枕崎に140軒あった鰹節屋さんも、今は40軒に減ってしまってます。
これから更に減っていくことはあったとしても、増えることは現実的に難しいでしょう。
せめて、知ることで鰹節への意識を持ち、食べてみることで、その違いを感じていただきたい。
流されることなく真っ当な仕事を貫き次の世代に残していくには、
現場の努力だけではどうしようもない部分もあるのです。
引き継がれていくのは技術だけではなく、物作りの魂みたいものがあるように思います。
安く手軽に手に入るものが重宝され、物差しに偏りを感じる今の世の中。
その魂が、あっちでポツリ、こっちでポツリと消え続け、
そのうち世の中が魂のないもので溢れて来る未来は、想像に難くありません。
何を選び、何に価値を感じ、何に対価を払うのか、
その選択が僕らが未来へ何を繋げていきたいのかという、意思表示にもなるのです。
忘れてはいけないのは、未来は誰か任せではないってこと。
僕たち皆んなで創っていくもんだってこと。
選択の権利と責任は、今を生きる一人一人にあるのですから。
さぁ、お腹もいっぱいになったところで、
寝てしまわないうちに一緒に学びを続けましょう。