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なないろめがね

闇知りて、初めて光、放たれリ。

先日、あるレストランに行って、改めて考えさせられました。
そこの料理は、とても綺麗で、雑誌にも美しく掲載されていました。
一皿一皿も、特筆すべきところは無いまでも、少し履き違えてはるんかな?程度。
まだ若い店なので、サービスもこれからなんでしょう・・。
夜ならまだしも、昼で文句をつけるほどでもありませんでした。
ただし、パンだけは酷かった(笑)
ま、この店について特に語るつもりはありませんので、
何が、どう酷かったかは、書きませんけどね。

物事には、相対する二面性が必ずあります。
それは必ず対を成すもの。
僕は、それを同時に捉えます。
二度手間は大嫌いなので、一辺に捉えます。
例えば、上があれば下があります。
上から見てる時に、いちいち下から見るのが嫌なので、
上から見てる時に、下からも見ます。
まぁ、あくまでイメージ上の視点ですが。
表があるなら、必然的に裏があるわけで。
裏のない表なんか在り得ないんです。
少なくとも、存在としては。
光の届かないところには、闇が存在するわけで。
闇しか知らない人は、光の存在を知らないだろうし、
光しか知らない人も、この世に闇があることを知らないでしょう。
つまり、光があることが当たり前の人間に、光の素晴らしさはわからないわけです。
光だけでは、平面の世界。闇があって初めて光は「存在」と成すんです。
一つの物事だけでは見えないものがたくさんあります。
偏った見解では、全体を知ることは不可能です。
闇を知り、陰を背負い、哀しみに暮れ、後悔に駆られ、
光を知り、温もりと出逢い、喜びに溢れ、希望に満ちて、人は「存在」を成してるんです。
光しか浴びたことの無い人間は、いずれ闇を知り、心に影を落とすでしょう。
闇を知ったから、痛みを知ったからこそ、放てる光もあるはずです。
煌煌と辺りを照らし出す光もあれば、
暗がりの中に差し込む、一筋の光もあります。
ゆらゆら消え入りそうな、頼りない光もあります。
各々それぞれ、光の明るさも、強さも、色も違うわけです。

暗闇全てに光をあてる必要なんてないですよ。
暗がり全てを照らす必要なんてないんですよ。
そんなに頑張らなくてもいいんです。
自分じゃ乗り越えれないこと、受け入れれないこともありますよ。
抱えて歩いててもいいですよ。腰掛けて休んでもいいですよ。
でもね、下向いてちゃ駄目ですよ。
顔上げて、前向いて。
ほらね、同じように、歩けない人もいるでしょ?
重い荷物を持った人もたくさんいるでしょ?
そして、あなたに差し出されてる手も、きっとあるはずです。
弱くたっていいんです。上手に進めなくてもいいんです。
闇夜を照らす、お月さんに向かって
「自分で光ってないくせに!」なんて突っ込む人、いないでしょ?(笑)

え~っと、つまり・・
コースが単調過ぎて、あまり印象に残らなかったって話でした(笑)
by monsieur-enfant | 2007-08-24 06:27 | とりとめなく・・